この間、被災地ボランティア、パリのJapan EXPO、
無印良品さんとの九州ラウンドと、
相変わらず落ち着かない日々を過ごしております。
そんな中、何人かの旅人の、旅先での死を耳にしました。
その中には、
同時期に世界一周をしていた夫婦も含まれていました。
面識こそないものの、
正直、他人事と感じることができませんでした。
僕らがなんの大きな病気やトラブルもなく帰国できたのも、
本当に幸運なことだったように思います。
今年は、震災もありましたが、
人はいつ何処に居ようとも、死のリスクにさらされていることを、
痛感させられました。
死はいつかは訪れるものですが、
同時に、避けられる死は避けるべきだと。
身内や周りを悲しませるような事態は、
極力、招いてはいけないと思います。
そのためにも、これから旅に出られる方、
すでに旅に出ている方々には、
くれぐれも注意して頂きたい。
バックパッカーのようなスタイルの旅では、
毎日の過ごし方も、行き先もすべてが自由。
その分、すべてが自己責任です。
なので、
①万が一の事態に備え、保険に入る
②旅先の情報収集を怠らない
③決して無理をしない
を、肝に銘じて頂ければと思います。
①の保険については、
長期の旅人のあいだでは入っていない人が多いのも事実。
ただ、これから旅立たれる方には、
多少、高くても加入されることを強くオススメします。
未知なる国々では、
今までに出遭ったことのないようなリスクに曝されます。
病気、怪我、スリ、強盗、テロ、天災、等など、
正直、何があるか分かりません。
現に、旅先で病に倒れたり、スリ・強盗にあった旅人を
数多く見てきました。
保険に加入していれば、
病院によってはキャッシュレスで治療を受けられますし、
盗難にあっても、時価総額分、取り戻せます。
自分たちに対する保険になることはもちろん、
身内に対する保険という認識も忘れてはいけません。
怪我や病気で動けなくなって、
身内に迎えに来てもらわなくてはならない場合、
「救援者費用」を付けておけば、負担してもらえます。
万が一のことがあった時に備え、
葬式代くらいの死亡保険をかけておくことも、
身内に対する最低限の礼儀だと思うんです。
当然、そういった事態に巻き込まれないために、
②旅先の情報収集を怠らないこと。
その国、そのエリアに入る前に、
のチェックは当然のこと、
他の旅人のブログ、宿に置いてある情報ノート等の
情報も参考にすべきです。
その時点で、リスクが高いと感じたら、
③の無理をしないことも、旅人として必要な判断です。
危険地帯で拉致でもされた日には、
国家単位で迷惑をかけることになりますから。
それでも何かに感染したり、巻き込まれてしまった場合は、
病院、警察、大使館など、然るべき所管へ行き、
早急に対処してもらいましょう。
旅人は、海外ではサラリーマンでもフリーターでもなく、
一人の日本代表として見られるわけで。
一人の旅人が事件を起こすだけで、
他の日本人がその国に入りにくくなったり、
旅に出る日本人が少なくなったりすることを忘れてはいけません。
武勇伝は、あえて創りにいくものじゃないです。
どれも当たり前のことですが、
これだけ世界一周がブームになりつつある中、
あえて書き上げさせて頂きました。
偉そうにすみません。。
一人でも多くの旅人が、
素晴らしい体験を踏めますように。
そして、是が非でも、
無事の帰国を!
]]>
帰国から早4ヶ月弱が経ちました。
その間、
被災地へ行ったり、フランスのJAPAN EXPOへ行ったりと、あれこれしている内に、
世界一周の記憶が遠い昔のことのように思い始めています。
あれだけの経験をさせてもらっておきながら、
僕らの記憶の中だけに留めて、風化していくのは、
余りにももったいない。。
そんな中、webR25での世界一周の連載+α写真が、
電子書籍化されることが決定しましたー!
題して、
『死ぬ前に一度は行きたい!
世界一周ビジュアルガイド』(仮)
8月中旬以降に、有料アプリで、
iPhone版とAndroid版で配信されます。
世界一周がスマホで疑似体験できちゃう!
仕立てになってますので、興味ある方、是非お楽しみに!
また発売近くなりましたら、詳細お伝えします。
それを記念して!と言う訳ではありませんが、、、
『世界一周の報告会』第2弾(おそらく最後)の、
開催が決定しました!
日時: 8月21日(日) 15:00~17:00
場所: 恵比寿Time Out Cafe
http://www.timeoutcafe.jp/
参加費: ドリンク2杯付・2000円
旅っていいよね♪
旅先での出会い、絶景、生活など、
旅の魅力について思いっきり語ります!
中でも、旅先での出会いについては、
世界にはこんなスゴい人、変な人、素晴らしい人がいるんだ!
という刺激ある内容です。
毎日、家なし子で、宿を転々と回る、旅先での生活ぶりについても、
垣間見せちゃいます。
また、僕らが旅のテーマとしてきた、
『COOL JAPAN & BOOM JAPAN Project』
の総括として、
「海外で受け止められている日本、日本が学ぶべき海外」についても、
フランスのJAPAN EXPOの事例なども交えながら、お話します。
会場のキャパシティのご興味ある方は、info@cool-boom.jp
もしくはtwitter(@coG_Cozy) にご連絡くださいませ。
また、同場所にて8/19~21まで
『世界一周の写真展』および『世界の雑貨販売会』
も行っております。
< キャンドルフォルダー from Egypt >
< マルシェバック from Mrocco >
< 小皿 from Turkey >
< マトリョーシカピン from London >
< 死海の石鹸 from Jordan & Israel >
ちなみにミネラル成分たっぷりのの死海石鹸は、
お肌つるつるの店員さんにオススメしてもらいました↓
あと、インドの高級店で買った
キラキラブレスなんてのもあります↓
8月21日がご都合悪い方は、
販売会&写真展は期間中(8/19~21)
13時-22時まで入場無料でやっておりますので、
是非ふらっとお立ち寄りください!!!
会場でお会いできることを、
楽しみにしております!
ご好評につき参加お申し込みを締め切らさせて頂きました。
ご参加表明頂いた方々、誠にありがとうございました☆
当日、お会いできることを楽しみにしております!
]]>帰国して、
早1ヵ月が過ぎようとしています。
日本での時間は早い。
歩くスピードも速い。
アフリカの
『ポレポレ(ゆっくりゆっくり)』
過ごしていた時間が嘘のような毎日です。
そんな中でも、
去年まで見ていた光景とは、
明らかに違った光景が見えている自分がいる気がします。
この1年間の世界一周の旅で、
自分たちは何を見、何を感じたのか?
こんな経験を皆さんに共有差し上げたく、
『旅の報告会』なるものを開催することにしました。
以下、詳細です。
日時: 5月28日(土) 16:00~ ※2時間程度を予定
場所: OnEdrop cafe. (ワンドロップカフェ)
http://www.onedrop-cafe.com/
参加費: 1500円(お1人様1ドリンク含)
参加ご希望の方は
このブログにコメントか、トップページのお問い合わせからメール頂くか
twitter(@coG_Cozy)までご連絡頂けますでしょうか。
また、当日は妻が1年間の旅で買い付けてきた
世界各地の雑貨の販売会も実施します。
ちょっとだけその一部を公開
【タイで買ったピアス】
【インドで買った、キャメルサンダル】
【エジプトで買ったランプ】
【モロッコで買った、ミントティーグラス】
【モロッコで買った、バブーシュ】
それでは、多くの方の参加表明をお待ちしております!
よろしくお願いしますm(_ _)m
桜が散る頃の帰国と思っていましたが、
幸いなことにまだまだ満開の桜を拝むことができました。
そんな桜も散り始め、
生活は徐々に忙しない日常へと戻りつつあります。
1年間で、41ヶ国128都市を巡った
夫婦での世界一周の旅。
ものの1週間ほど前までの出来事なのに、
もう既に夢の中の出来事であったかのような感じです。
そして、1年後戻って見た光景は、
変貌した日本の姿でした。
思えば、旅のスタートは、
デモ真っ只中のタイでした。
微笑みの国タイにおいても、
政治に対してはここまでのエネルギーを発散するんだ、と、
驚きとうらやましさを覚えたことを、
まるで10年前のことのように思い返します。
その後の1年の間に、
チュニジアやエジプトを始めとした国々で、革命が起こることになるとは、
その時は知る由もありませんでした。
それぐらい、世界はものすごいスピードで進化を遂げていました。
同じく急激な発展を遂げるインドにおいては、
人として大切なことを思い出させてくれました。
「街を歩けば、人に当たる」インドでの街歩き。
一体、1日に何回の自己紹介をしたことでしょう。
挨拶をされる度、笑顔がこぼれ、
エネルギーが漲ったことを思い返します。
コルカタのマザーハウス「死を待つ人の家」でのボランティアでは、
マザーテレサのこんな言葉が心に残っています。
『人が生まれてくるのは、愛し・愛されるためであり、
これこそが人間の使命である。』
『愛の反対は憎しみではなく、無関心である。』
その言葉を実践するかのように、
インド人は他人に対する興味関心が、他一倍高かったです。
人が人らしくあるための原点を、
インドでは、教えてもらった気がします。
同様の人間臭さは、
チベットや中東といった国々においても感じました。
特に彼らに共通して言えることは、
宗教に対する信仰心の厚い人々たちでした。
日本では考えにくいことですが、
国と宗教は切っては切れない関係でした。
チベットの、仏教。
インドの、ヒンドゥー教。
イスラエルの、ユダヤ教。
中東の、イスラム教。
欧米・中南米を中心に広がる、キリスト教。
等など。
彼らの言動は、
宗教の教えがベースになっていると言っても
過言ではありませんでした。
世界の情勢を理解するには、
これらを理解する必要があることを知りました。
特に、イスラム教については、
元々、抱いていたイメージと実態が大きく異なっていたことも。
自分の眼で見ない限り、
物事を軽率に判断するべきでない。
そう思うようにもなりました。
そんな、それぞれの思想を持つ国々がぶつかり合った
南アサッカーワールドカップ。
スポーツや音楽といった、ルールの下では、
人種や言葉を超えて盛り上がれることを、肌で感じました。
同時に、
日の丸の下に一致団結したあの時のことは、
今でも思い返すだけで胸が熱くなります。
日本人であることを、本気で誇りに思えた瞬間でした。
W杯優勝国のスペインを始めとしたヨーロッパ諸国においては、
新しい価値観を植えつけられました。
夏休みは最低3週間、
平日は17時に家路につき、
日曜日は商店もお休み。
物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを求め、
家族や自分の趣味に重きを置いたライフスタイルは、
今後の日本が目指すべき姿のようにも感じました。
価値観が変わった経験と言えば、アフリカ最高峰、
キリマンジャロ登山を外すことはできません。
自分の限界を遥かに超えた挑戦。
それを夫婦揃って達成できたとき、
そこには明らかに違う視界が広がっていました。
『人間、やればできる。』
言葉にすればちっぽけだけど、
自分の中で芽生えた確固たる自信。
そして、
『夫婦で共に苦難を乗り越えた』
という何事にも変えがたい体験。
2人でなら、どんな困難でも乗り越えられる。
本気でそう考えられるようになりました。
男女平等をモットーにした我が家では、
自分のモノは自分で持つ主義。
ゆえにバックパックの重さも、
ほぼ同量でした。
1年間、女性にとっては、大変な道中もあったことかと思います。
24時間365日、時間を共にしながら、
時に文句を言いながらも、必至で付いてきてくれた妻には、
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。
そんな2人で、この1年間、
死ぬまで忘れられないような光景を眼にしてきました。
アフリカやアマゾンのサバンナ。
どこまでも続く砂漠。
大迫力の三大瀑布。
パタゴニアの氷河。
南米、塩湖の水面反射。
等など、
あげだしたら切りがありません。
それらは全て、大自然が創り出した景観でした。
自然は、2度として同じ姿形を見せないゆえに、
いつまで見ていても飽きることはありませんでした。
しかし、これだけ人間が魅了される自然も、
時に、人間にとって重大な脅威へと変貌するんですね。
奇しくも、僕等が帰国するちょうど1月前に起こった、
東日本大震災。
大自然のパワーを前にすると、人間の力は余りにも無力、
そう感じざるを得ない衝撃でした。
同時に、それが引き金で起こった、原発事故。
それによって、消えた街の灯。買い占め騒動。
そんな中でも、暴動ひとつ起こさずに整然と列に並ぶ、
日本人の規律性は、世界に誇るべきメンタリティでした。
世界には、毎日のように停電に陥る国や、
慢性的に物資が不足している国はたくさんありましたが、
それが日常の彼らは、それでも幸せそうに生きていました。
日本も、電気や物資がなくたって十分やっていけることを、
この事故をきっかけに気付けたのではないでしょうか。
同時に、多くの人の中で芽生えたであろう、意識の変化。
今、自分は何をすべきなのか?
人生にとって、本当に大切なものは何なのか?
これらを本気で考え直す契機が訪れたのだと思います。
『この世に生を受けるは、事をなすことにあり。』
維新の立役者、坂本竜馬の言葉にもあるように、
人にはそれぞれ役割があると思っています。
それが何なのかを見極め、それぞれ従事することが、
人として定められた最低限の使命だと思うんです。
特に、先人の努力によって先進国の仲間入りを果たした日本では、
自分の努力によって何にでもなれる可能性があるわけでして。
世界最南端の街の宿にも、こんな言葉が落ちていました。
『人には天運と自運がある。
天運は、自分じゃどうすることもできんが、
自運は、自分で伸ばすことができる。
そのためには努力が必要。』
まさにその通りだと思います。
日本という国の、長谷川家に生まれたのは、天運。
そんな親からもらった能力を、
伸ばすことができるかは自分次第。
一人ひとりが自分の"らしさ"を追求し、発揮している状態が、
社会のあるべき姿だと思うんです。
僕は、これから、一人の日本人として、
今までのキャリアをどう活かし、
どう社会に貢献していくべきなのか?していきたいのか?
同時に、自分にとって大切な人たちと、
どれだけかけがえのない時間を過ごすことができるのか?
生涯、これらの疑問を追及しながら、
今後の人生を歩んでいこうと思っています。
三十路を超えた今、
ようやくこうしたことに気付けたのも、
この旅があったからのことでした。
旅は、地球は、僕にとっての学校でした。
これからは、人生の長い旅へ。
さぁ、どんな未来が待ち受けているやら‥。
完。
末筆ながら、
こうした何にも変えがたい経験を踏ませてくれた家族に、
そして、この旅をサポート頂いたすべての皆さんに、
感謝の意を表して、このブログを締めさせて頂こうと思います。
また、
自分のつたない文章のブログにお付き合い頂きました皆さま、
1年間、本当にありがとうございました!
]]>
帰国日の朝を迎えました。
夢だった世界一周の旅も、
いよいよフィナーレ。
本日、日本へと飛び立ちます。
昨日は宿でゆるりと過ごそうと思ってましたが、
結局、丸1日、忙しく外出してしまいました。
やっぱり旅のスタイルは変えられないものですね。。
ただ、その道中で、
『あんなこともあった。こんな人とも出会った。』
と、2人で振り返っていました。
結局、1年間365日で、
40カ国(バチカン入れて41カ国)を巡りました。
この旅を通じて出会った人たちも、
実に200人以上。
右に行くか、左に行くかも決めていない旅路において、
本当にすべての出来事、出逢いが、奇跡でした。
思い返すだけでも、
本当にすべてが夢の中での出来事だったようにも感じます。
そんな旅路で出逢えた皆さま、
日本で支えて頂いた皆さま、
本当にありがとうございました。
こんな経験を踏めたのも、
皆さまがいてくれたからこそです。
今は早く、皆に会いたい。
日本は大変な状況にあると思いますが、
この経験を活かして、社会に還元していければと思ってます。
末筆になりますが、
私の拙い日本語のブログを読み続けて頂き、
誠にありがとうございました。
旅の振り返りブログは、
帰国後、ゆっくりと書きたいと思っておりますので、
その際は、また読んで頂ければ幸いです。
それでは、いざ日本へと。
Good Bye, World!!!
]]>
この旅の終着点、
ラスベガス。
とうとう、この地に辿り着いてしまいました。
この地は、10年前に訪れた際、
【人が創った究極のエンターテイメントシティ】
と、感じた都市。
陸路で入ると、それを如実に実感できるのですが、
砂漠地帯の中に、突如として
煌々と輝くネオンに囲まれた都市が現れるんです。
アーケードが施されたダウンタウンは、
夜中でも、昼間のような明るさです。
そこには、人の欲望を満たす、
ほとんどのモノが揃っている気がします。
実は、ダウンタウンはこれでも、
ラスベガスの古き良き時代に栄えた場所。
今のラスベガスの中心は、
ストリップと呼ばれるエリアなんです。
ストリップとは、別にストリップショーがやってるわけではなく、
エリアの名前です。
そこにはホテル、カジノを始めとした華やかな建物が、
次から次へと建ち並んでいます。
それは、もう圧巻の一言。
ただ、思いの外物価は安いんです。
それも、全てはこれのおかげ↓
カジノで収益を上げているからなんです。
世界中から億万長者が訪れ、大金を落としていくため、
ホテルの宿泊料などは、驚くほど安く泊まれたりします。
それも、超高級ホテル群。
ニューヨークをイメージしたホテル、
『New York New York』から、
フランス、パリをイメージしたホテル、
『Paris』、
イタリア、ベネチアをイメージしたホテル、
『Venetian』、
ちょっと隠れてしまってますが、
エジプト、カイロをイメージしたホテル、
『Luxor』まで↓
そんな中、僕らが宿泊したホテル、
『Rio』、
あの、リオのカーニバルを中心に、
世界中の祭をテーマにしたと言うホテルは、
若干、立地が劣るのですが、賑やかさには定評があります。
そんな高級ホテルが、
なんと2人で1泊$50!
(ネットの予約サイトより)
アメリカでは、ユースホステルのドミトリーでも、
大抵$20位するので、
そう考えると、こんな高級ホテルなのに超破格です!
しかも、こんな客室↓
クイーンサイズベッドが2つに、ソファーベッドですから、
6人位でも泊まれそうな客室です。
最後の最後に、ちょっと贅沢な気分を味わってしまいました。
10年前は、なんでここに日本をイメージしたホテルがないんだ!と感じ、
将来、ここに五重塔風のホテルを創ることが僕の野望でしたが、
今回、訪れてみると、なんとあるじゃないですか!
五重塔風の建物が。
でも、『Harrah's』と言うホテルの一部に過ぎないので、
やっぱりここに日本資本のホテルを建てるべきです。
これらのホテルには、当然の如くカジノが併設されているのですが、
カジノ以外にも、楽しみがあって、
各ホテルが工夫を凝らした無料のエンターテイメントショーを催しているんです。
ホテル『Mirage』では、
火を使った火山噴火のショーが行われ、
ホテル『Bellagio』では、
夜になると、
水を使った噴水ショーが行われています。
中でも、
ホテル『Treasure Island』の無料ショーは、
20名ほど役者も登場する、
カリブの海賊ショー。
しかも、なかなかの見応え。
これだけ人件費をかけながらも、
無料でショーを提供するあたり、
ラスベガスの余裕を感じますね。
ホテルの他にも、
『m&m's』や、
『Coca Cola』のミュージアムショップまであって、
モールなんかに至っては、
超洗練されています。
ラスベガスは、カジノをしなくても、
家族連れでも友人とでも、いろいろ楽しめちゃう都市なんです。
極めつけはこれ。
ストリップとダウンタウンの間にそびえ立つ
『ストラトスフィア・タワー』
と呼ばれる塔。
この上の展望台からは、
不夜城ラスベガスの夜景を眼下に拝むことができます。
これだけでも十分、価値あることなんですが、
さすがはエンターテイメントシティ、ラスベガス。
このタワーの屋上には、
夜景に向かって突っ込んで、ギリギリで止まる、
という、驚愕のジェットコースターがあるんです。
ラスベガス一高い建物なので、ものすごい強風で、
その恐怖、爽快さは数倍に膨れ上がりましたが、
なんとか乗ってやりました!
しかも一番前の席!!
いやぁ、やっぱりベガスは、
究極のエンターテイメントシティですね。
全てが、ぶっ飛んでます。
そして、この地を最後に持ってきた理由。
それは、やっぱりこれ↓
カジノで、旅で使った資金を取り戻すこと!
そのために、元金としてのやり繰りをしてきたつもりでした。
が、しかし!
ベガス入りの時点での、旅の資金を計算すると、、、
なんと、既に予算オーバー‥。
と言う訳だったので、
予算は補正予算で出すことになったのですが、
当初の予定よりも微々たるものになってしまったのです。。
でも、せっかくだったので、
3日3晩、勝負を仕掛けました。
勝負はルーレットです。
初日、僕は絶対に負けない賭け方で勝負を仕掛け、
見事に勝利を収めます。
でも、ギャンブルとは恐いもんですね‥。
勝ったら、もっと勝てる!と、
負けたら、この負けを絶対に取り戻す!と、
そういうマインドになってしまうんです。
最終日は、なんと気付いたら朝の5時まで没頭!
結果はご想像にお任せしますが、
それぐらい楽しませてもらいました。
ベガスは恐ろしい街ですね。。
人の底なしの欲望を実感することができました。
でも、欲求は人の求める自然な現象であり、
それが、モチベーションに繋がるんだから、
決して悪いことじゃありませんよね。
貪欲になりたい時は、
また、この地ラスベガスへ戻って来たい。
そんな風に思えるぐらい、
魅力的(魅惑的)な街でした。
いやぁ、それにしても、
ベガスは恐ろしい街だ。。
いやぁ。。
]]>世界には『パワースポット』と呼ばれる場所が
いくつかあります。
南米大陸北部のギアナ高地や、
日本の恐山なんかもその一つとか。
そんな中、世界で最も有名なパワースポットと言えば、
ここではないでしょうか?
アメリカ、セドナ。
グランドキャニオンから車で2時間半ほど南下した場所に、
その街はありました。
グランドキャニオンのように国立公園をイメージしてましたが、
セドナとは街全体のことを指すようです。
通称、レッドロックカントリーとも呼ばれるように、
街はディズニーランドのビッグサンダーマウンテンのような、
大きな赤い岩々に囲まれていました。
その街が、パワースポットと呼ばれる所以は何なのか?
それは、『ボルテックス』という、
大地からパワー(気)が出ているスポットがあるからなんだそうです。
しかも、そんなスポットが複数個所あることが、
セドナが世界的なパワースポットとして有名な理由だそうです。
中でも有名な4大スポットの3つが、、、
ベルのような形をしていることから名づけられた、
ベル・ロック↓
セドナの絵葉書の定番でもある、
カセドラル・ロック↓
最も強い気を発していると言われる、
ボイントン・ロック↓
一見、ただの赤岩に見えますが、
これらの岩には、大地から渦を巻くように気が出ているんだとか。
それを象徴しているのか、
この辺りに生えている木は、何故か捻じれていました↓
霊感もなく、基本的に鈍感な僕らは、
見ているだけでは何も反応することもないので、
せっかくなので登ってみることにしました。
これが、結構激しくって、
ロッククライミングの様相です。
でも、キリマンジャロと比べたら何のその。
結局、1日で3つの岩々を登ってやりました。
この頂上付近では、
ヒーリングを求めて瞑想やヨガをしている人たちがいました。
この方たちなんて、
岩に向かって鼻歌歌う瞑想法↓
一見、かなり怪しいです。。
そこまで全く、何かを感じることもなかった僕でしたが、
せっかくなので、高野山仕込みの座禅を組んでみることにしました。
しかし、
何も感じることもなく。。
電磁波も強く発せられているらしく、
そのせいか、帰り道に若干、頭が痛くなる程度でした。
ただ、敏感な人には効果覿面らしく、
体調が悪かった人が治ったり、ストレスを感じにくくなったりと、
様々な効能があるんだそう。
アーティストたちのインスピレーションを働かせるのにもいい場所だそうで、
世界中から製作活動に訪れるアーティストも多いんだとか。
街には、ヒーラーと呼ばれる占い師のような人たちも多くて、
自分のオーラを見てくれるような診断も受けられるみたい。
財政難の我々は、受けられませんでしたが。
ただ、4大スポットの最後の一つ、エアポート・ミサは、
夕陽スポットとしても有名なのですが、
そこから、拝んだ夕陽を見たら、
パワースポットと言うのを信じて疑わなくなりました。
夕陽もさることながら、
夕陽が沈んだ後の、マジックアワーが、
本当にヤバかった!
写真では上手く伝わらないのですが、
ピンク色に染まり上がった空は神々しく、
まるで地球の正のエネルギーが漂っているようでした。
僕は無宗教者で、特に何かへの信仰が厚いこともないのですが、
エネルギーやパワー、気といったものは、実在するような気がします。
ほら、たまに、
「あの人オーラあるよね。」
とか、
「あの人と話していると、元気が出る。」
とか、感じることあるじゃないですか。
あれとかって、まさに目に見えないエネルギーだと思うんです。
しかも、それらは地球上を循環しているような気がして、
人から人に伝播するし、
死んだら、そのエネルギーはまた何かに生まれ変わるのだろうと。
それが前世とかってやつです。
さらに、そのエネルギーは、
姿勢とか呼吸法とか瞑想とかで、鍛錬することによって
ある程度、自分でコントロールすることが可能なような気もします。
気功師とか、サイヤ人とかは、
そういうのを上手く操れる人のことなのではないかと。
って、段々、話があやしくなってきたので、
この辺で止めておきます。。
まぁ、何はともあれ、
結局、何も感じることはできなかったのですが、
セドナを巡った後、
僕にも妻にも、帰国後の活動に繋がるような、
素敵な発見、ニュースが舞い込んできたのでした!
これもセドナパワーなんでしょうか‥!?
追々、お伝えできることになれば、
またブログにでも書きます。
こうして、旅終盤にて、
地球エネルギーでパワーも充電全快で、
この旅最後の訪問都市、
ラスベガスへと向かいました。
つづく。。
]]>
この旅、最後に訪れた国アメリカ。
ここでは、どうしても訪れたい地がありました。
10年前のアメリカ横断の旅において、
感動を覚えた二都市。
「自然の究極の景観」と感じた場所、
『グランドキャニオン』、
「人工の究極のエンターテイメント」と感じた場所、
『ラスベガス』。
旅を始めたきっかけにもなったそれらの場所が、
今の自分の眼にはどう映るのか。
それを、この旅のゴールで見てみたかったのです。
しかも、この相反する特徴を持つ2つの場所は、
実は目と鼻の先。
まずは、10年前にもお世話になった、
全米にネットワークを持つバス会社「Greyhound」に乗り込み、
グランドサークルの拠点になる街「Flagstaff」へと向かいました。
バスは、10年前のものとほぼ変わりなく。
これが、この旅最後の夜行バスとなりました。
Flagstaffはいかにもアメリカの田舎町の雰囲気ですが、
グランドサークルを回る拠点ともなる街なので、
観光地ともあって、キレいです。
そう、こんな田舎町においても、
日本のためのチャリティイベントが行われていたんです。
本当に、うれしいかぎり。
がんばろう、日本!
僕らは、このFlagstaffをベースに、
レンタカーをして、グランドキャニオンとセドナを巡ることにしました。
この旅では、結構レンタカーしましたね。
アフリカ、ヨーロッパ、南米、そして、アメリカと、
結局、4大陸走りました。
まずは、10年前の感動を再び、と、
グランドキャニオンへ!
グランドキャニオンは、
その名の通り「大きな渓谷」です。
東西約500km、面積約4900平方キロメートルに渡って広がる渓谷は、
やはり圧巻。
今から約7000万年前に、地殻変動によって隆起した地を、
コロラド川が徐々に浸食をし、
今の地形が成されたのは、約200万年前のことなんだとか。
前回も訪れた時もそうでしたが、
まるで時が止まったような感覚に襲われるんです。
そんなグランドキャニオンに沈む夕陽。
赤土に覆われた大地で、
さらに赤く輝いているように見える太陽。
その広大な自然の美しさを前に、
しばらく、呆然としている自分がいました。
そして、ここグランドキャニオンでは、
これまた、この旅最後のキャンプをすることにしました。
キャンプをすることで、
星空と朝日を拝む魂胆です。
テント設営開始。
嫁もだいぶ慣れました。
もはや、5分でテントも完成!
夜は、これまた、
あれば旅でお世話になりっぱなしだった
カップラーメン!
まだ春で寒かったので、
スープは温まりましたよ。
そして、楽しみにしていた夜空。
空を仰ぐと、
そこには、10年前と変わらず、
満天の星空が広がっていました。
この旅で、だいぶ目が肥えてしまったのですが、
それでもその空は美しく、感動するほどでした。
自然と、ここまでの道中の一つ一つの出来事、
一人一人との出逢いが、思い返されました。
一つ一つの出来事、出逢いが、
どれも奇跡のように感じました。
そして、よくここまで病気や怪我で寝込むこともなく、
大きなトラブルに巻き込まれることもなく来れたなぁ、と。。
いろんなことを考えながら、
寒い夜を、寝袋にくるまりながら、
眠りに落ちました。
翌朝は、
この旅最後になるであろう、
朝日を拝みました。
朝日に照らされるグランドキャニオン。
こうして冷え込んでいた空気に、
熱が戻り、1日がまた始まります。
改めて、太陽エネルギーの凄さを、
実感しました。
2日目は、
グランドキャニオンの渓谷を下りていく、
トレイルトレッキングに挑戦。
横からだと、
その地層の変化を如実に見ることができます。
下から拝む渓谷は、
これまた迫力ありました。
こうして、
1泊2日のグランドキャニオンの旅は、
過ぎて行きました。
約7000万年の歴史を持つグランドキャニオンにおいては、
10年の歳月などほんの一瞬に過ぎないんでしょう。
10年前とほとんど変わらぬ姿で、
その景観を魅せてくれました。
自然は時に、脅威にもなりますが、
同時にその美しさも驚異的。
そして、圧倒的な自然を前にすると、
自然と体にエネルギーが漲る気がするんです。
そんなエネルギー漲るパワースポットへ。
お次は、セドナです。
つづく。。
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ついに、
この旅、最後の訪問国、
アメリカに辿り着きました。
高校時代、留学をしていたアメリカは、
これまで自分の中で絶対的な存在でしたが、
(おそらく日本人の多くはこの感覚なのでは)
この旅を通じて、
アメリカが諸外国(特に南米諸国)から実は内心、好かれていないことを知って、
それでも、世界から優秀な人材が、それも人種関係なしに集まり、
世界一の経済大国として成り立ち続けていること自体が
不思議に感じるようになりました。
歴史も浅く、人種のるつぼのアメリカが、
何故ここまで成り立っているのか?
そんな興味を胸に、
アメリカへと入国を果たしました。
ただ、滞在はたったの2週間なので、
今回はLAを中心に、周辺都市を巡ることに!
思えば、10年前、
親友とNYからの『アメリカ横断の旅』をした時のゴールも、
ここLA。
あの時、10年後にまたこうして旅をして、
ゴールが同じLAになるとは到底、知る由もありませんでした。
あの時の旅が、
今の自分があるきっかけです。
そう、アメリカと言えば、
今までも散々、各国でお世話になってきましたが、
ジャンクフードの本場です!
まずは、本場アメリカのハンバーガー!
そして、ホットドッグ!!
なんと、ソーセージ2本入り~!!
さらには、ドリンクは、
カップ渡されてお代わり自由~~!!!
Sサイズは、日本のLサイズですから~!
お代わり無料なら、サイズ選ぶ必要もないとも思うのですが、
多くのアメリカ人は、ビールジョッキ級のLサイズとか頼んでます。。
そして、極めつけは、
アメリカンステーキ~!!!
これ、アメリカでは一人分の量なんですが、
日本人の我々には4人でシェアしてちょうどよかったです。。
さらに、食後にサービスで付いてきた、
わた飴~~!!!
そう、このレストランに連れて行ってくれたのは、
南米のウユニ塩湖で奇跡の光景を共に観た、
LA在住のレイちゃんとその彼氏さん。
わた飴が、レイちゃんの顔の4倍くらいありましたからね。。
昔は、
日本が他国と比べて食べないんだ、
と思ってましたが、
この旅を通じて世界を巡ってきて、
アメリカが食べ過ぎなんだ、
ってことに気付けました。
おかげで、街中で見かける肥満率は、
圧倒的に高まりましたから。
でん!
でん!で~ん!!
こんなアメリカ人達からすると、
日本の女性がダイエットとかしてる、
とか聞いたら、卒倒しそうです。
ただ、そんなアメリカでも、
LAには『リトル・トーキョー』と呼ばれるエリアがあって、
そこでは、
海鮮丼やうどん、
らーめん&餃子まで、
食べれてしまうから、うれしい。
それも、日本の味そのものです!
ここも、以前、サンパウロについての記事でも書いたように、
1800年代後半より、日本から移り住んだ
日系移民の方々が築いた街で、
日本へ乗り継ぎなしで飛行機で飛んで来れる分、
本物の日本食や、日本雑貨が多く扱われているんです。
しばらくしたら日本に帰る身としても、
ジャンクフードの合間に食べられる日本食には助けられます。
そして、LAと言えば、ここ。
Hollywood!
ビバリーヒルズと目と鼻の先にあるこの街は、
言わずと知れた、映画の都です。
通りは、有名人の名前が書かれた
星型のタイルで敷き詰められています。
『TOP GUN』以来、大好きな俳優、
トム・クルーズも見付けることができました。
そこには、映画俳優だけならず、
アメリカのスターはほとんど。
もちろん、マイケル・ジャクソンも!!
そしたら、そこにはマイケルの実物も。
さらには、ドナルドダックまで!
もはや、スターの定義は
あってないようなもんですな。。
有名なチャイニーズ・シアターの前には、
そんなスターたちの直筆のサインと手形・足形が
刻まれた石畳を見ることができます。
もちろん、ミッキーマウスや、
スターウォーズのR2D2のサインまでありますから。
そんなハリウッドに夜、訪れてみると、
なにやら煌々とライトアップされてます。
そう、なんと、
映画の撮影が行われていたのです。
ハリウッドだからって、
映画のロケ地に使われるケースはそんなにない中、
本場ハリウッドで映画の撮影シーンに遭遇できるとは、ラッキーです!
撮影は、停車中の車の合間を、
役者が走り抜けるシーン。
役者の衣装などみる限り、
3流映画であろうことは間違いないでしょう。
ただ、ハリウッドのど真ん中の通行止めにして撮影する辺り、
さすがはアメリカ、本場ハリウッドならではですね。
こんな感じに、
久しぶりのアメリカの超ド級のスケールに
脅かされっぱなしの毎日が始まったのでした。
リーマンショックで、少しは質素な生活になったのかなぁ、
なんて思ってましたが、
そんなことは、アメリカ人には通用しませんでしたね。
あと、LAとか都市ならではなんでしょうが、
白人と黒人とヒスパニック、アジア系の混合グループも、
多く散見しました。
世界広しと言えど、
そんな光景を目に出来るのは極一部の国でした。
オバマが大統領に就いたのも、ものの3年前ほどの話ですが、
こうした人種関係なく付き合いができ、
誰しもにチャンスがあるというのも、
アメリカと言う国の魅力なんだろうな、と感じました。
国家の横暴ぶりは、時に目を見張ることもありますが、
それ以上に、アメリカの社会システムに魅力を感じる人が多いのかと。
超大国、アメリカに対する不思議は、
まだまだ続きます。。
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キューバ、ジャマイカの拠点となったのは、
メキシコのカンクンでした。
カンクンも、カリブに面したリゾート地です。
確かにキレイな海。
ただ、カンクンは、ホテルゾーンと呼ばれる、
海に面したエリアに行かないと、ビーチには行けないんです。
しかも、それらのホテルには、
滞在中、好きなだけ食べても飲んでもいいというプラン、
『All Inclusive』のホテルも多数存在するのですが、
オンシーズンだった僕らが訪れたタイミングでは、
最低US$200はするという、バックパッカーには無縁の場所。。
しかも、春休み中だったUSからの観光客で、
ビーチはこの通りのごった返しっぷり!
結局、僕らはダウンタウンの宿に拠点を置きました。
ビーチは落ち着いた雰囲気が好き、
と言うのは、歳のせいなんですかね?
同じビーチなら、
近郊の「イスラ・ムヘーレス」か「プラヤ・デル・カルメン」の方が、
まだ落ち着いていてオススメです。
僕らは、ダイビングの世界三大スポット、
カリブ海のコスメル島で潜るために、
このプラヤ・デル・カルメンを経由して行きました。
時間のなかった僕らは、
コスメルに到着するや否や、
ダイビングショップ『Studio Blue』へ直行。
通常、午前中しか船を出さないらしいのですが、
特別に、その日の午後に出してくれることになりました。
ただ、不覚にも、コスメルでのダイビングでは、
水中カメラを借りることができず、No Photo‥。
その透明度は、40~45mと、
今まで潜った中でも格段に美しかったんですが!!
無数の熱帯魚はもちろんのこと、
食卓でみるロブスターの
3倍ぐらいの大きさのものも見ることが出来ました。
コスメルには、またゆっくり来て、
ダイビング三昧の日々を送りたいです。
さらに、この界隈には『セノーテ』と呼ばれる、
淡水の泉の潜行スポットがあるので有名です。
コスメルのカリブ海で潜った翌日は、
その噂のセノーテへ行って来ました!
写真は、ダイビングショップより拝借です。
うっそうと生い茂る森林に囲まれた場所に、
噂のセノーテはありました。
上からでも、海底の方まで透けて見えるのですが、
いざ潜ってみると、この透明度!
なんと、透明度は100mを超しているとか!
太陽の光も、この通り、
水面で屈折して、海中まで差し込んできます。
海水ではなく、淡水なので、
浮力は海よりもはるかに小さく、
ウェイトはいつもの半分ぐらいで沈みます。
そんな中を、ライト片手に、奥へと潜って行きます。
この辺り、洞窟ダイビングのような様相です。
海底近くは、真っ暗で、
ナイトダイビングに近く、かなりワクワクします。
そして、太陽が差し込む水中の潜行は、
神秘そのものです!
太陽光が、
本気で神の後光のように見えますから。
個人的には、熱帯魚が好きなので、
もっと魚を見たかったのもありますが、
きっと二度と忘れることができないような光景でした。
そんな2日で4本のダイビングをこなした
メキシコでの滞在。
メキシコと言えばの、タコスも散々食べましたが、
サルサソースが、どれもこれも辛くて、
いまいち好きになりきれませんでした。
辛いと言えば、メキシコ名物のこの野菜↓
ハバネロ!
自炊の時にちょっとカジってみたんですが、、、
基準値を大幅に超える「辛味」を検出!!!
辛すぎて、ビールで流し込んだら、
今度は 食道と胃が燃えました!!!!!
あの野菜は、絶対に規制すべきです。。
そんな辛さで、疲れも吹っ飛びまして、
カンクン最後の夜はサルサナイトへ。
日曜日には、宿『ROSAS7』の近くの公園で、
サルサダンスパーティーが行われているとのことなのです。
早速、宿の管理人さんのジュンさんに、
サルサの基本ステップを教えてもらって、
近くの公園へ繰り出しました。
すると、そこには、
いますこと、いますこと。
老若男女入り乱れての、
サルサダンサーたちが!
それも、みんながみんな上手いわけじゃなくって、
初心者の人たちもたくさん来てるんです。
だから、物怖じすることもなく、
輪に交じって、踊ることができました。
みんな自然にパートナーを誘って、踊り始めるから、
社交界さながらの雰囲気。
上手いと、やっぱモテるとかあるんですかね。
ここでお付き合いが始まるとか、
大いにありそうな感じでした。
こうして、メキシコのHOTでDEEPな毎日は、
あっという間に過ぎて行きました。
そして、いよいよ、
この旅、最後の国、アメリカへ。
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カリブ海に浮かぶ、緑豊かな島、ジャマイカ。
言わずと知れた、レゲエミュージックの発祥地です。
そして、そのキング・オブ・レゲエと言えば、この方。
ボブ・マーリー。
近代に至るまで、植民地化されなかったアフリカのエチオピアを、黒人の魂の故郷と置き、
エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世を神と描く『ラスタファリズム』(通称:ラスタ)を、
歌詞に載せ、歌った彼のレゲエ音楽は、今でも世界中で愛され続けています。
当然、ジャマイカでは神のような存在で、
バスの座席にもいらっしゃいました。
そんな、彼を崇めてか、
ラスタファリズムの方々なのか、
ジャマイカには、ドレッド、スパイラル、ブレードの人ばかりなんです!
ドレッドを隠した帽子は、
もちろんラスタカラー。
子供も、もちろんドレッドです。
女の子もね。
そのせいか、みんなお洒落に見えるんです。
また、街中にはレゲエが氾濫しています。
バスに乗っても、車内はレゲエでガンガン。
ここまでイメージを裏切らない国は、
他になかったのではないでしょうか?
バス乗車時に、こんな出来事がありました。
いざ出発時間を迎えたバスに、
荷物だけ席に置いて、おばさんが突如、姿をくらましたのです。
普通だったら、出発して荷物は盗まれるのがオチですが、
このバスは、そのおばさんを探すべく、市内をウロウロ。
30分程かけて、ようやく見付かったのですが、
普通だったら、乗客の一人ぐらい文句をいいそうですよね?
それが、なんと、
その時乗ってた乗客、誰一人として文句も言わず、
むしろ、大爆笑だったんです!
「どこ行ってたんだよ~、バカー!うひゃひゃー!!」
みたいな。
さらに、そのバスにおいて、
しばらく走ると、新たな事件が起きました。
「ボフッ!」と大きな破裂音と共に、
右の後輪がパンクしてしまったのです。
急遽、バスを止めて、運転手が確認。
もちろん、タイヤを交換するのかと思いきや、
なんとバスはそのまま何をすることもなく発車!
どうやら、「まだ行ける!」と判断されたようなのです。
そんな状態で走られたら、
普通、乗客少しは焦りますよね?
しかし、パンクしても走り続けるバスに、
またまた乗客みんなで大爆笑。
「大丈夫かよ、おい!うっひゃひゃー!!」
みたいな。。
その後、
いよいよタイヤも持たなくなって、ようやくガソスタでタイヤ交換したのですが、
今度は、その変えたばかりのタイヤが、ものの30分と持たずにパンク!
またまた、バスを止めて、タイヤを取り外したのですが、
今度は、新しいのを付けることなく、右後輪1輪で走り出したのです!
この旅でも、ヒドいバスは多くありましたが、
タイヤを1輪失って走ったバスはジャマイカが初めてでした。
それでも、ジャマイカ人の乗客はへっちゃら。
真下のタイヤだったので、僕らは気が気じゃなかったのですが、
それでも、キチンと目的地まで着くのだから、スゴいです。
バス停に居た、ギター弾きには、
こんなメッセージを日本へと託されました。
『Everything is gonna be all right!』
(大丈夫!全部よくなる!)
彼らの生き方を見てると、
確かにそんな気がしてしまうのが不思議です。
日本へのメッセージと言えば、
こんなことも。
僕らがキングストンに滞在中に、
たまたまレゲエ界の大御所、フレディ・マクレガーのLiveがありました。
会場は、ニューキングストンのクラブ、インパルス。
洒落た空間です。
観客もなんか洗練されてる感じ。
そんな中、なんか見たことあるおっさんがいるなぁ、
と思ったら、、、
なんと、主役のフレディが、観客に交じって座ってました!
この辺りも、ジャマイカらしい!
そんなLiveの冒頭にて。
なんと、復興さなかの日本にむけてのメッセージソングと言うことで、
1曲、アカペラで日本の歌を歌ってくれたんです!
曲はよく知らない曲だったのですが、
後日、友人が教えてくれたところによると、
『琵琶湖周行歌』。
何故、その歌だったのかは全くの不明ですが、
その気持ちだけでも、メチャクチャうれしかったです。
会場からも惜しみない拍手が送られました。
記念撮影まで。
そしたらね、なんと、
翌日の新聞のセンター見開きにおいて、
当日のことが大々的に報じられたんです!
そこに、ちゃっかり写っちゃいました。
バスに乗ってたら、
『あなた達、新聞に載ってるわよ~。』
って、おばさんが教えてくれたんです。
まさかのジャマイカ新聞デビュー。
ともかく、
そんぐらいジャマイカはゆるいし、
音楽と笑いに満ちた素敵な国なんです。
さらに、ジャマイカと言って忘れてはいけないのが、
カリブの海!
キングストン郊外には、
『ライム・キー』と呼ばれる無人島があって、
船で15分ほど揺られると、、、
本当に何もない無人島へ!
ウニがたくさんいてね、
何匹か獲ってやりました。
でも、食用じゃなかったのですね。。
また、ビーチと言えば、『モンテゴ・ベイ』が有名ですが、
モンテゴ・ベイより静かなビーチとして、
『ネグリル』と呼ばれるエリアもあります。
観光客の多い『モンテゴ・ベイ』に対して、
こっちは本当に人数が少なくて落ち着いたビーチです。
この通り、カリブの海の色も、
エメラルドグリーンです。
陽気な音楽、 キレイなビーチ、そして、
笑いに満ちた人々と。
ジャマイカは3拍子揃ってますね。
治安はキングストンのダウンタウンを始めとした一部地域を外せば、
比較的良好と思いますし。
ジャマイカ、最高に気に入りました♪
"Everything is gonna be All Right!"
この姿勢、見習っていきたいです。
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エルネスト・ラファエル・ゲバラ、
通称チェ・ゲバラ。
誰しもが一度は耳にしたことがあるであろう、その人は、
キューバ革命を成功に導いた一人です。
「チェ」とは、スペイン語で「やぁ」という意の砕けた挨拶で、
人々は愛着を持って、彼のことを「チェ」と呼んでいます。
アルゼンチンに生まれたチェは、
幼い頃から喘息持ちだったため、医者を目指し、
ブエノスアイレス医大へ進学。
在学中に、年長の先輩と共に、おんぼろバイクで、
ブエノスアイレスからパタゴニアを南下し、
南米大陸を北上し、コロンビアをゴールとする、
放浪の旅をやってのけました。
なんと、今回の我々のルートと、
ペルーのアマゾン辺りまでは一緒!
(※映画『Motorcycle Diaries』参照)
その途中、出会ったアンデス地方の先住民族や、
ペルーで奉仕したハンセン病患者へのボランティア活動が、
その後のチェの人生の価値観を大きく変えたといいます。
帰国後、医者の資格を得た彼は、
再び放浪の旅へと出ます。
そして、メキシコでキューバから亡命中の
フィデル・カストロと運命的に遭遇。
これが、彼の人生が大きく躍動するきっかけでした。
カストロの理念に大いに共感をしたチェは、
その後、バチスタ軍事独裁政権が君臨するキューバへと遠征し、
キューバ革命を成功へと導くのです。
時に、ゲバラ28歳、カストロ30歳のことでした。
革命後は、
キューバの国立銀行総裁や工業省などの要職を歴任。
しかし、思想・主義の違いから、
カストロと袂を分ちあうことになります。
その時に、カストロに送った最後の手紙には、
こうしたためられていました。
『勝利に向かって限りない前進を。
祖国か死か。
限りない革命的情熱をこめて』
チェが新たな戦場として置いた場所は、
南米5カ国と国境を接するボリビアでした。
チェはここを大陸革命の司令部にしようとしましたが、
原住民との不和、ゲリラ隊内部での小さな失敗が重なり、
結局、ボリビア政府軍に捕らえられ、射殺されました。
往年39歳の生涯でした。
それでも、チェの残した功績・生き方は支持され、
キューバ国内では、様々な場所にチェの壁画を見ることができます。
キューバ内務省の壁にも、
その肖像を見ることができました。
なんと、表札にまで↓
ポストカードも、チェだらけです。
己の信念を貫き通し、実現するために、
生涯を祖国アルゼンチンのためではなく、
他国のために尽くしたのです。
主義・思想はともかく、
余りにも一途なその生き方は、天晴れです。
チェが、キューバだけならず、
南米中で人気を博していた理由が分かる気がしました。
そんなチェが礎を築いたキューバは、
現在、このような形で発展していました。
堂々とそびえる国会議事堂。
カリブならではの陽気な天気に包まれた広場。
社会主義国家ゆえに、
広告がほとんど掲示されていない街並み。
ただ、広告など必要ないほど、
味のある街並みなんです。
セピアで撮影すると、
中世の時代に遡るような錯覚に陥ります。
それを彩るのが、
50~60年代の車の数々。
国内を走る多くの車が、
これらのクラシックカーなんです。
もちろん、タクシーも↓
途中、結婚式にも遭遇したのですが、
結婚式用車も、アメ車のオープンカーでした。
それは、何故か?
アメリカとの関係性が悪く、経済制裁を受けているキューバは、
アメリカとの関係が切れる前までのアメ車を、
大事に大事に使っているだからだそうです。
他の物資に関しても慢性的な不足に陥ってるキューバでは、
商店においても、多くの品物を見ることはありません。
特に野菜に関しては極度に不足しているようで、
渾身のキャベツ1つだけを売っている商店なんかも見掛けました。
人々の給料も、
最大でも月給25CUC(約2000円)と規制されているようで、
決して豊かとは言えない生活を強いられていました。
ただ、それでも、
人々からはそんな悲観の色はほとんど感じないんです。
(もちろん、中には体制に不満を漏らす人もいますが。)
限りある楽しみを、
フルにエンジョイしている雰囲気を感じるんです。
代表的なのが、これ。
『Copperia』と呼ばれる、
キューバでは有名なアイスクリーム屋さん。
ハバナでは、行列ができるほどの人気ぶりです。
外国人が使う通貨と、現地人が使う通貨を、
分けているキューバでは、
本来、僕らは外国人席にしか入れないのですが、
ちゃっかり現地人席に潜り込んでみると、この盛況ぶり。
カウンターごとに味が異なる、
というスタイルがまたおもしろいです。
アイスも、甘さがさっぱりしていて、
これまた美味しいんです!
これをね、現地人、
みんな一人4皿ずつぐらい食べてるんですわ!
言わば日本で言う、わんこそばのような感覚なんでしょうか。。
うちらもトライしましたが、
一皿で4スクープですから、十分でした。
他にも、
キューバと言えばの、音楽。
街中には、サルサが流れてるし、
ルンバ、マンボ、チャチャチャはキューバ発祥、
夜は、Jazz Barも大盛況です。
本当に、街のそこら中に音楽が散らばっていて、
人の感じも陽気なんです。
物資もさることながら、
それ以上に、人との触れ合いや、限りある楽しみを満喫する。
そんな生き方を、
キューバの人たちからは垣間見ることができました。
革命戦士チェが創り上げた国、キューバ。
思想・主義の是非は、僕には何とも言えませんが、
今の日本が見習うべき生き方を、その国に見た気がします。
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旅路の途中、
示し合わせたわけでもなく、
同じ旅人と何度か再会することがあります。
この広い地球において、
1度出会うだけでも偶然なのに、
2度、3度と再会を果たすなんて、奇跡です。
(ちなみに、この旅の最高再会記録は7回)
そんな偶然の出会いをイスラエルで、
再会をトルコで果たした友人と、
ここリオで3度再会することができました。
ブラジル人のホドリゴです。
通訳の仕事をしながら、
世界を旅し続けていた彼。
いつも昼間は仕事モードで、
夜になると旅人モードに変わるという、
夜行性旅人の一面を持った男でした。
そんなホドリゴが、
カーニバル前に母国に戻ったと。
そして、彼の友人宅で催されていた
BBQパーティーに招待してくれたのです。
味付けがしっかりして美味のブラジリアンBBQを囲って、
結局、総計20名のBig Partyに!
このパーティーで、
ブラジルのノリの激しさを
さらに、思い知らされることになります。
誰かがギターを引きだして、
みんなで熱唱。
もう、そこに、
上手い下手は関係ないんです。
とにかく、歌った者勝ち。
みんなで歌えば、
自然と笑顔に。
こんな風に歌って気持ちよくなったと思いきや、
今度はダンスタイム。
ブラジル人女性の腰の動きは、
ハンパじゃありません。
日本の曲もかけてくれ、ってことで、
『Choo Choo Train』かけたら、大フィーバー!
こうして、汗だくになるまで
ダンスを踊りまくりました。
最後は、リオの中心街『ラパ』へと繰り出し、
現地のクレイジーなノリにもみくちゃにされながらも、
みんなで飲み語り明かしました。
ブラジル人の面子も、
通訳から、コカコーラ、広告マン、アイスクリーム屋、学生まで、
様々でしたが、こうしてすぐに仲良くなれるのも、
ブラジルのノリあってこそ。
中でも、この旅で3度再会したホドリゴ(写真左下)とは、
なんとなく生涯続きそうな予感がします。
北に行くか南に行くか、
はたまた、東に行くか、西に行くか、
それぞれが気ままに進んでいく旅の道中で、
出会うだけでも奇跡なのに、
3度も再会を果たした仲なので。
この旅での何よりの贈り物は、
世界中に散らばる友人ができたことでしょう。
これだから旅はやめられません。
旅がもたらす奇跡に感謝です。
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カーニバル期間前夜の子供のパレードで、
腹八分目気味の僕らでしたが、
そんなんでリオが許してくれるわけはありません。
ここから、ブラジルの、リオの、
本当に激しいノリを魅せつけられることになります。
前述の通り、
カーニバル期間の4日間中、
A級グループが出場するのが2日目と3日目。
ここまで来たらA級のものが見たくなってしまった僕らは、
チケットも何も手配せずに乗り込んだものの、
事前に購入するよりも安く、現地でチケットを手配できました。
セクター11で350レアル(約17500円)。
ダフ屋からなら、もっと安く手にすることもできたようですが、
ニセモノを握らされることもあるようなので、
僕らは、現地の露店で、安全をお金で買いました。
セクターは3→5→7→9と行くにつれ高くなりますが、
セクター11は、3とほぼ同料金で、穴場スポットです。
(それ以外はオススメできません)
しかも、セクター9と11の間で、
鼓笛隊が待機してプレーするため、
臨場感溢れるパレードを観ることができます。
さて、そんな2日目のカーニバルに向けて、
初日は、街中のパレードを見に行くことにしました。
目指すは、「Rio Branco大通り」。
この通り、歩行者天国と化してます。
何故か、みんなコスプレしてるんです。
男も当然の如く。
まるでハロウィーンのようです。
そして、何故か、
女装した男性も多く見掛けます。
流行ってるみたいですね。
街中のカーニバルのいいところは、
裏へ回れば、 準備中のパレード参加者を見れること。
サンバガールたちとも、
この通り、間近で写真撮れます。
そして、やっぱりいた、
おかまのサンバガール。
ってか、街中のカーニバルでは、
おかまのサンバガールばっかでした。
シンデレラも、おかまがやるとこの通り↓
せめて笑えーw
もちろん、中にはまともな子たちもいます。
子供たちもかわいいっす。
こうして子供から大人、おかままで、
街中のカーニバルは何でもありです。
カーニバル期間中の現地のノリを直に感じるには、
街中のパレードへ繰り出すべきですね。
そして、迎えた2日目。
いよいよA級チームが出場する、
本戦会場「サンバドローム」へ!
会場は超満員です!
21時開始でしたが、3時間前に会場入りし、
バッチリ最前列付近に陣取りました。
そして、ついにカーニバルが開幕!
80分と言う制限時間の中、
各グループ約4000人によるパレードがスタートです!!
約5億円とも言われる各グループ毎の総費用は、
ブラジル各地で催されるカーニバルの中でも圧倒的。
それぞれの衣装も、
街中のものとは比べ物にならないほど華やかです。
そして、カーニバルの華である、
サンバガールたち。
この人、裸か!?
それぞれ300万円はするらしいです。
是非とも、日本人としては小林幸子にも出て欲しいところ。
サンバガールも花型ですが、
山車の上はさらに神々しい!
スーパーモデルから、
天女まで。
華麗なる美女たちも、
お尻ぷりぷりです。
仕舞いには、前丸出しの女性まで~!
さすがはブラジルだ。。
あのロナウジーニョも、
カーニバル参加してました。
あるチームのスポンサーを務めてるんだとか。
さすが、スーパースターは違う。
圧巻だったのは、
去年の優勝チームのパフォーマンス!
「映画」をテーマにしていたであろう、そのパフォーマンスは、
首のもげる死神から始まって、
日本の合戦のイメージや↓
「アバター」↓
「ジョーズ」の喰われるシーン↓
「インディ・ジョーンズ」の世界まで↓
とにかく一つ一つのパフォーマンス力が、
ハンパじゃない!
最後の清掃員まで、
ホウキを使ったサンバを披露してました。
時間も見事に80分ジャストで終了!
(※オーバーすると減点対象とか)
見事なパフォーマンスに、
観客総立ちでスタンディングオベーションでした!
素人目から見ても、「お見事」の一言でした。
ただ、このチームでも、
今年は2位だったようで。
今年の優勝は、
3日目の最後の最後に出場したチームのようです。
それでも、彼らは、
明らかに観客の心を魅了していました。
こうして、2日目6チームの演技が
すべて終わったのは、明け方6時過ぎ。
一緒に観戦したみんなはほとんどグロッキー状態でしたw
この期間、全てを見ようとしたら、
かなりの体力を要しますね。
それでも、一見の価値あり!
ただ、同時に、
日本の三社祭やよさこいも、
全く引けを取らないと思うのでした。
打ち出し方次第では、
日本の祭も世界的イベントに仕立てられるのではと。
銀座の中央通りで、
よさこいの全国大会とかやればいいのにな~。
絶対に、世界五大祭りには入ると思います。
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