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ブラジルの日本人街『サンパウロ』から学べること

 

ブラジル最大の都市、サンパウロ。

 

 

 

高層ビルが立ち並ぶその街並みを見れば、

南米大陸、ましてや、南半球で最大というのも分かる気がします。

 

 

 

サンパウロ.jpg

 

 

 

正直、リオよりも断然、都会。

 

 

 

人口も、リオ600万人に対して、

サンパウロは1100万人を優に超してますから。

(ちなみに東京は1300万人超)

 

 

 

そして、ここサンパウロは、

南米屈指の「日本人街」があることでも有名です。

 

 

 

サンパウロの中心街、リベルダージ地区は、

まさにその中心。

 

 

 

銀行までもがこんな様相を呈してます↓

 

 

 

サンパウロ~リベルタージュ.jpg

 

 

 

街には、

だるまや雛人形を熱かった和物雑貨屋から↓

 

 

 

サンパウロ~和物屋.jpg

 

 

 

代表ユニも扱っているアパレル店↓

 

 

 

サンパウロ~服屋.jpg

 

 

 

居酒屋↓

 

 

 

サンパウロ~居酒屋.jpg

 

 

 

たこ焼き屋まで!

 

 

 

サンパウロ~たこ焼き屋.jpg

 

 

 

海外で寿司屋はよく見かけましたが、

たこ焼き屋を見掛けたのは初めてです。

 

 

 

そして、大手外食チェーンも、

海外展開中↓

 

 

 

サンパウロ~すき家.jpg

 

 

 

メニューには、日本と同じく、

牛丼、キムチ牛丼等の小盛、並盛、大盛、特盛とあります。

 

 

 

サンパウロ~すき家メニュー.jpg

 

 

 

中には、チーズがかかった牛丼なんかもあって、

さらにはセットメニューにはコーラが付いてくる辺り、

海外らしさを感じます。

 

 

 

極めつけは、

食後のデザートのメニューまであること。

 

 

 

サンパウロ~すき家デザート.jpg

 

 

 

牛丼にコーラ&ケーキ。。

 

 

 

日本じゃなかなか考えられない組み合わせです。

 

 

 

何故、こんな日本人街が創られたのか?

 

 

 

それは、過去にこんな歴史がありました。

 

 

 

遡ること100年強前の1908年。

 

 

 

日本から約800人の移民を乗せた笠戸丸が、

50日間の旅路を経て、ブラジル・サンパウロに到着しました。

 

 

 

当時、「富国強兵」をモットーに、

欧米に追い付け追い越せモードで働いていた日本人は、

さらなる開拓地を求めて、海外へ移民をしていたんです。

 

 

 

1868年のハワイを皮切りに、

アメリカ、メキシコ、ペルーへ移民。

 

 

 

ブラジルは、コーヒー農園の労働力不足を補う目的で、

海外からの移民を受け入れ始めた最中でした。

 

 

 

その後、笠戸丸をきっかけに、日本からの移民を乗せた船が

続々とサンパウロへ到着。

 

 

 

こうして、移民してきた日本人は、

コーヒー農園の開拓から、品種改良、新たな農産物まで生み出し、

ブラジルの発展に横位に貢献したのです。

 

 

 

その後、日本の企業が海外展開をする際に、

サンパウロを南米の拠点としたのは言うまでもありません。

 

 

 

それから、100年を超える今、

約150万人もの日系人がサンパウロで暮らしているんです。

 

 

 

ただ、その数は年々減少傾向にあるようで、

逆に増加傾向の、中国人・韓国人のことも鑑みて、

サンパウロの「日本人街」は、

2004年より「東洋人街」と改名されました。

 

 

 

中国、韓国は国策で海外移民を推し進めているようで、

自分が世界一周してきた過程でも、

その数は如実に増加傾向にあるように感じました。

 

 

 

現地在住の日系人の方に言わせても、

「政府の支援なければ、このままでは日本人街は潰れてしまう、」

と不安視される意見も聞かれました。

 

 

 

ここからも、隣国と日本との、

近年の国際化に賭ける意気込みが違うことが見て取れます。

 

 

 

当時の日本は、地租改正によって、

働けど豊かにならない日本での生活に嫌気をさして、

海外へ移民するという選択をされた方が多いとも聞きますが、

 

 

 

今ほど海外の情報が手に入りにくい時代において、

移民という選択肢は、

相当な勇気と覚悟がいるものだったことと思います。

 

 

 

ただ、そんな決断をした方々のおかげで、

今の日本の国際化もあったわけです。

 

 

 

日本は今でこそ、地震の後遺症で不安定ではありますが、

基本的には平和で、生活環境も豊かです。

 

 

 

そんな日本の生活を抜けだすのは相当な覚悟のいることですが、

「海外へ移住」という選択肢も、もっとあって然るべきだと思うんです。

 

 

 

日本ほど発展していない諸外国においては、

ビジネスチャンスはいくらでもあります。

 

 

 

これまで伝えてきたように、

日本食を始めとしたJapanブームも起きつつあります。

 

 

 

和の魂を持った日本人の遺伝子が、海外に広がれば、

それを確固たるものにしていくことも可能でしょう。

 

 

 

日本は、これから大変な時期を迎えると思います。

 

 

 

進む少子高齢化で、人口減の時代を迎え、

嫌が応にも国内マーケットは縮小。

 

 

 

加えて、今回の地震による被害。

 

 

 

こんな時に、海外へ抜け出すことは「逃げ」とされがちですが、

逆に、「今だからこそ」だとも思うんです。

 

 

 

復興が落ち着いたタイミングでも遅くありません。

 

 

 

決して「逃げる」意の移住ではなく、

日本の今後のための「前向きな」移住を、今こそ。

 

 

 

そんな選択肢も、

一つの生き方としてあっていいと、

思います。

 

 

2011.03.26 Saturday | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0) | by KOJI

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