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【09】Tanzania:タンザニアで見つけたCOOL JAPAN!

ロンドンまでの長い道のり。。

ロンドンなう。

 

 

この言葉をつぶやくために、ここまで苦労するとは。。

 

 

日本を旅立って4カ月。

 

 

元々は、このままアフリカを縦断して、中東→トルコと抜けて、

ヨーロッパには11月頃入る予定だったのですが、

実は、予定を変更することにしたんです。

 

 

理由は、

 

 

①ケニア→エチオピアの陸路国境越えは絶対に避けた方がいい

(安全上の理由)

 

②どちらにせよ空路を利用するなら、世界一周航空券に織り交ぜた方が得

 

③そもそもケニアは、新婚旅行で行っている

 

④ヨーロッパの冬はマジで寒い

 

⑤スペインのトマト祭が8月末、ドイツのオクトーバーフェスが9月中旬~

 

 

まぁ、⑤の理由が一番大きかったのですが‥。

 

 

と言うわけで、ルートを思いっきり変更。

 

 

早々に夏場のヨーロッパを回って、

酷暑の中東(夏場は50度超えも‥)は冬場に回す。

 

 

その後は南米でリオのカーニバル等を巡り、

年末に予定していたラスベガスは旅の終盤に回し、

旅で使った資金を取り戻す。

 

 

そして、ゴールはニューヨーク。

 

 

こんなルートに変更してみました。

 

 

世界のおいしいとこ取りルートとしては、

我ながらなかなかよく出来てます。

 

 

しかし、この変更が、思いがけずに手間取ったのです!

 

 

そもそも僕らは、

ワンワールドの世界一周航空券というのを利用して旅をしており、

通常、ルート変更はワンワールド加盟の航空会社であれば、

どこでもできるはずなのですが、

 

 

僕らがいたアフリカでは、そんなチケット買う奴がそもそもいないのか、

彼ら、変更の仕方がよく分からんゆえに、できない!とか言われて。。

 

 

3回、British Airwaysのオフィスに通ったのですが、無理の一点張り。

 

 

発券航空会社のJALに電話しても、

たらい回しにされて、やってくれないし。

そもそも、メキシコ航空が破綻したことも、

JAL職員は知らなかった。。

 


これだからJALはよぉ‥。

JALしっかりせんかーい!

 

 

結局、信頼できる日本の代理店(世界一周堂)にお願いをして

変更してもらったのですが、

ロンドン便が取れたのは、9月8日!!

 

 

僕らのいたタンザニアの首都ダル・エス・サラームから、

誰がそんなにロンドンに飛ぶんじゃい!と思ったのですが、

 

 

アフリカってヨーロッパからすると、旅行スポットとして有名で、

夏休み真っ只中のヨーロッパゆえ、めちゃ混んでたのです。

 

 

サファリも、民族も、キリマンジャロもやり切っていたので、

もはやアフリカに未練なしだった僕らにとっては、

そんなに時間あっても、やることなし。。

 

 

仕方ないからダルエスの空港に突っ込んで、

空席を狙って滑り込もうと試みました。

 

 

が、しかし。。。

 

 

狙った13日便は、エコノミーに空席2席あったにも関わらず、

ビジネスクラスが2席、ダブルブッキングされていて、乗れず。。

 

 

週3便しかないため、次のチャンスは翌々日の15日。。。

 

 

すごすごと宿泊していた宿に戻り、ふて寝をするうちら。

 

 

ってか、ダルエス、タンザニアの首都なのに

何もすることないんですから。。

 

 

気合いを入れ直して、15日に再チャレンジ。

 

 

朝5時起きで、空港職員にも覚えてもらったおかげか、

何とか滑り込みで乗せてもらえることができたのでした。

 

 

航空券GET!.jpg

 

 

いやぁ、ここまで苦労してきたロンドンだったので、

喜びもひとしおです。

 

 

そんなロンドンは、見事な都会ぶりで、僕らを迎えてくれました。

 

 

続く。。

2010.08.18 Wednesday | 10:04 | comments(4) | trackbacks(0) | by KOJI

徒然なるままに、、、

 

日本を旅立ってから4カ月が過ぎようとしている。

 


毎日が刺激的で、しばらく立ち止まって考えるヒマもなかった。

 


ここザンジバルで、5日間もゆっくりしてたので、
今回はちょっと真面目なこと書いてみようかと思う。

 


今朝も朝陽を見た。

 


そして、今、夕陽が沈もうとしている。

 


当たり前の話だが、世界中どこででも、
朝陽が昇り、夕陽が沈むんだ。

 


人々はそのサイクルの中で、生活をする。

 


それは不変的なものだった。

 


そんな中、
貧富の差と幸福度の差は、
必ずしも比例していなかった。

 


素敵だなぁ、と思える人たちは、
みんな現状を受け入れ、前向きに生きていた。

 


例えば、南ア・ヨハネスブルグの黒人居住区ガイドの言葉。

 


「この帽子を孫に見せてこう言うんだ。
 俺はあのWCの時にガイドとして活躍していたんだ!ってね。」

 


子供もさることながら、彼女もいない彼だったが、
なけなしの金をはたいて、サッカーボール柄の帽子を買っていた。

 


ガイドと言う職業に誇りを持ち、
孫との会話までも想定して生きている彼。

 


一昔前までアパルトヘイトで差別されていたとは思えない陽気さは
素直に素敵だなぁ、と思えた。

 


それから、インドのらくだ使いの青年の言葉。

 


「ゆっくりでいい。ゆっくりで。」

 


将来は自分のらくだを所有しビジネスすることが夢の彼。

 


さっさと買っちゃえばいいじゃん!と急かす僕に対し、
お金を少しずつ貯めていって、
まずは携帯、次にらくだを買うんだ、

と説明してくれた。

 


それは、現実的に無理だから、という意味なのだろうが、
その話をしている時の彼の表情からすると、
楽しみは先延ばしに持っておくんだ、といった感にも受け取れた。

 


彼も、現実を受け入れながらも、今を前向きに生きていた。

 

 

そして、ザンジバルのレストランのウェイターのおっちゃんの言葉。

 


「これで、いいのだぁ。(日本語)」

 


前歯が3本も欠けているおっちゃんで、
最初、ギャグでも言ってんのかと思ったが、
不思議と今の人生を満足している感じがした。

 

 

結局、与えられた境遇、与えられた時間をどう考え、生きるのか。

 


これが幸せに生きる秘訣なのだと思う。

 


ただ、人間ないモノねだり。

 


隣の芝が美しく見えてしまう、と言うように、
白人はビーチで肌の色を焼こうとするし、
パーマの人はストレートパーマをかけたりする。

 


ただ、生まれ持って与えられたモノ、それは個性だと思う。

 


ハゲだって、ゲスだっていい。

 


それを卑下することなく、
誇りを持って前向きに生きていくことができれば、
きっと楽しい人生を歩めるはず。

 


ましてや金なくたって、考え方一つで人生は楽しめる。

 


人間として、黄色人種として、日本人として、
そして、長谷川浩史として生まれてきたことを誇りに、
また、明日から旅を続けようと思う。

 

2010.08.11 Wednesday | 01:14 | comments(18) | trackbacks(0) | by KOJI

30年間で最も過酷な体験『キリマンジャロ登山』

 ビクトリアの滝で高さ111mのバンジーを飛んだ後、
僕らの行く先にそびえ立つのは、キリマンジャロだった。



Kilimanjaro.jpg

 

 

標高5895mと言うアフリカ最高峰を誇るその山は、
スワヒリ語で『Kilima=丘』、『njaro=輝く』、
マサイ語で『ヌガイエ・ヌガイ(神の家)』、
と呼ばれている。

 


いくつもの峠を通ることなく頂上に辿り着くことができる
フリースタンディングマウンテン(富士山と同様)なので、
素人でも登ることができる山としても有名だ。

 


正直、登山が趣味な訳でもあるまいし、
旅に出る前から登るつもりなど到底なかった。

 


しかも、5000mを超える山頂付近は、
-20度の極寒の世界。
酸素は下界の半分以下。

 


高山病はもとより、命の危険性だってある。

 


ただ、何故か知らんが、気になる存在。

 


イモトは登れて、反町隆史が失敗した山って、どんなもんなのか。

 


どうせ無職の身。失うものなどないし。

 


こんなヒマなの今しかないだろうし。。

 


失敗して当たり前。

 


挑戦しないことの方が、後悔する。

 


登っとくか。

 


と言うわけで、僕らの無謀な登山計画が始まった。

 


ただ、そんな簡単に入山が認められている訳もなく。

 


タンザニアの一大観光産業としても成り立っているキリマンジャロは、
必ずやガイド等のスタッフを同伴して行かなければならないのだ。

 


それもそのはずで、全行程4泊5日を素人だけで生き延びられるわけがない。

 


なので、キリマンジャロの麓の街「モシ」に着くや否や、スタッフを編成。

 


まず、ガイドのエマニュエル。

 


Kilimanjaro_Guide.jpg

 

 

アシスタントガイドのジェームス。



Kilimanjaro_AsGuide.jpg

 

 

そして、コックの○○(名前忘れたー!)。

 


Kilimanjaro_Cook.jpg

 

 

その他に、2名のポーターが付き、
計5名のチームキリマンジャロが完成。
(これでも少ない方なんです‥)

 


5日分の食料などを買い込み、
いざキリマンジャロへ出発した。

 


■1日目

 


キリマンジャロ登山ルートには5つほどあるが、
僕らが選んだのは最も一般的なマラングルート。

 


さわやかな気分で登れることからか、通称コカ・コーラルートとも呼ばれる。

 


ここから4泊5日の旅路に出発だ。

 


Kilimanjaro_1st_1.jpg

 

 

ゲートで入山の登録を済ませ、いざ出陣。

 


ちなみに行程としては、以下を辿ることになる。

 


   1550m(マラング・ゲート)
↓3時間(1日目)
   2700m(マンダラ・ハット)
↓5時間(2日目)
   3720m(ホロンボ・ハット)
↓5時間(3日目)
   4703m(キボ・ハット)
↓5時間(4日目)
   5685m(ギルマンズ・ポイント)
 ↓1.5時間(4日目)
   5895m(ウフル・ピーク)
↓3時間(4日目)
   4703m(キボ・ハット)
↓6時間(5日目)
   1550m(マンダラ・ゲート)



Kilimanjaro_1st_2.jpg

 

 

初日は、2700mのマンダラ・ハットまでの3時間のアップトレッキング。

 


うっそうと生い茂る木々の中に、時たま木漏れ日が注がれ、
まるでトトロの世界に迷い込んだような気持ちにさせてくれる。

 


Kilimanjaro_1st_3.jpg

 

 

マイナスイオンをふんだんに浴びながらのトレッキングは
確かにさわやか。

 


初日は余裕で2700mのマンダラ・ハットまで到着できた。


 

Kilimanjaro_1st_4.jpg

 

 

各ポイントには、三角屋根の宿坊があり、
それがハットと呼ばれる所以。



Kilimanjaro_Hut.jpg

 

 

電気もハットごとにソーラーパワーで発電し、
各部屋4つのベッドが備え付けられている。

 


Kilimanjaro_Hut_Inside.jpg

 

 

夕飯前には、ティータイムが設けられており、
クッキーやポップコーンにミロやハニーティー等を飲む。

 


夕飯も、キャンドルサービスの中、
特製スープにパン、マッシュポテトにサラダと、
栄養満点で、超美味。

 


Kilimanjaro_dinner.jpg

 

 

高山病対策には、とにかく栄養を採ることが重要だそうなのだ。

 


それにしても、至れり尽くせりのサービスである。

 


こんなサポートを受けながら、登頂しない訳にはいかない。

 


そう心に誓いながら、初日は就寝。

 

 

■2日目

 


ドンドンドンドン!

 


早朝6時半、日の出と同時に起床のノック。

 


山の朝は早い。

 


顔だけ洗って、朝食を採る。

 


高山病対策に、1日3リットルの水分を採れと言われ、
朝から、ミロやらコーヒーやらティーをがぶ飲み。

 


すこぶる体調は良好だ。

 


しばらく歩くと、木々が低木になってきた。

 


森林限界が近づきつつあるのが分かる。

 


Kilimanjaro_2nd_1.jpg

 

 

ポーター達は、頭に荷物を乗せながら歩くから、大したもんだ。

 


昼食には、毎朝、支給されるランチボックス。



Kilimanjaro_2nd_2.jpg

 

 

サンドイッチにゆで卵にバナナ、フルーツジュース。

 


これも栄養バランスが考えられた感じだ。

 


完全な高山病対策ゆえに、2日目も余裕で3720mまで到達。



Kilimanjaro_2nd_3.jpg

 

 

この時点で、去年登った富士山の頂上に近い。

 


既に雲海は眼下に広がっていた。

 


Kilimanjaro_2nd_4.jpg

 

 

■3日目

 


6時起床。

 


去年の富士山では、若干、頭が痛かったが、
今回は朝起きても、一切の頭痛もなかった。

 


さすがは万全の高山病対策をしているだけある。

 


しかし、嫁はなんと頭痛で夜中に何度も目が覚めたとのこと。

 


まずいな...。

 


このままでは1人で登ることになる。

 


とりあえず水をがぶ飲みさせて、3日目もなんとか出発。

 


この辺りから、キリマンジャロの姿が明確に見えるようになってきた。

 


Kilimanjaro_3rd_1.jpg

 

 

森林限界も近い中、怪しげな植物だけ生い茂る。

 


Kilimanjaro_3rd_2.jpg

 

 

これはキリマンジャロでしか見れない植物らしい。

 


そんな中、いよいよ最後の水場を過ぎる。

 


Kilimanjaro_3rd_3.jpg

 

 

さすがに4000mを超えてきて、空気が薄くなってきたのが分かる。

 


ちょっとでもペースが速いと、心臓の鼓動がすぐ上がる。

 


嫁はついにi-podを聞き出して、自分の世界にこもりだした。

 


こういう時は、自分と闘っている時なのである。

 


そして、なんとか3日目も4703mのキボ・ハットまで到着。

 


Kilimanjaro_3rd_4.jpg

 

 

喉を通りにくくなる体に無理やり夕食を入れ、就寝。

 


3時間の仮眠につく。

 


本当の勝負はここから先が勝負だった。

 


■4日目

 


22時起床。

 


仮眠のはずだったが、いよいよ頭が痛くなり始め、
一睡もすることができなかった。。

 


しかも、深夜ということもあり、寒い。

 


下にはタイツ2枚にスノーウェア、上はインナー5枚にダウンという、
あらゆる防寒具を着こんで、出発した。

 


これまでの道がウソみたいな急坂である。

 


これまで、ガイドは別々に歩いていたが、
さすがにここからは前後に付き、ペースコントロール。

 


急坂をジグザグに歩くのだが、それでも体には応え、
鼓動がものすごい速いペースで刻まれているのが分かる。

 


しかも頭が重い。

 


嫁は、いよいよ気持ち悪いと言いだした。

 


そう言われてみると、自分も気持ち悪い気もする。

 


深呼吸をし、体をごまかしながら前に進む。

 


そして、5000m地点に到達。

 


しばし休憩をとっていると、急激な睡魔に襲われた。

 


単に睡眠不足のせいかと思ったら、睡魔も高山病の一周の症状らしいのだ。

 


そう言うガイドも「俺も眠い。。」と。

 


さらには「目まいもする。」と言いだした。

 


ガイドも高山病かーい!

 


確かに、目が真っ赤に充血していた。

 

 

ガイドも高山病症状が出るほどのキリマンジャロ。

 

 

やはり想像以上だ。。

 


そこから先、5685mのギルマンズ・ポイントまでが、
自分にとって最も過酷であった。

 


頭痛、吐き気、目まい、睡魔の高山病の症状に加え、
-20度の襲いかかる寒さ。

 


ガイドに、「前は見るな!足元を見ろ!!」と言われる。

 


確かに、前を見ると、「まだこんな先があるのか。。」と、
登る気が失せてしまうのだ。

 


夫婦、ガイド共に励まし合い、一歩一歩前進。

 


登り始めて4時間半。

 


ついに、5685mのギルマンズ・ポイントに到達した。



Kilimanjaro_4th_1.jpg

 

 

ここで、ガイドのエマニュエルがつぶやく。

 


「ここまでにしとくか?」

 


それに対し、もうろうとした意識の中で、

 


「まさか。。頂上まで登るために来たんだ。」

 


と、応えている自分がいた。

 

 

そりゃ、そうだ。

ここまで来たら頂上を目指さないわけにいかない。

 


こっから先は、横にスライドしつつ、、
断崖絶壁の岩々を超えながらの登山。

 


嫁は、ここが一番つらかったと言う。

 


僕は、もう頭がマヒしていたのだろうか。

 


ツラさを感じなくなっていた。

 


1時間ほど歩いただろうか。

 


ふと、下を見下ろすと、遥か彼方に雲海が広がっていた。


 


Kilimanjaro_4th_2.jpg

 

 

空が明るくなりだしている。

 


いよいよ太陽のおでましだ。

 


そして、6時半。

 


ものすごい輝きと共に、御来光が昇る。



Kilimanjaro_4th_4.jpg

 

 

それは、この世のものとは思えない美しさだった。

 


これまでのツラさを一瞬で忘れさせてくれるほどだった。

 


嫁の目には涙が流れていた。

 


最後は気力の勝負。

 


力を絞り出すようにして、前に進んだ。

 


そして、午前7時05分。

 


キリマンジャロ山頂、ウフル・ピークに登頂した。

 


Kilimanjaro_4th_6.jpg

 

 

-20度以下の山頂の世界は、もはや北極。

 


Kilimanjaro_4th_3.jpg

 

 

太陽に照らされる氷河と雲海のコラボレーションは、絶景だった。

 


Kilimanjaro_4th_5.jpg

 

 

達成感とその神秘的な光景からか、
しばらく、何も言葉が出てこなかった。

 


その代わりに、涙が自然とこぼれてきた。

 


こんな感覚は、部活以来かもしれない。

 


やり切った感というのは、こんな感じだったなぁ‥。

 


そんな感慨にふけっていると、
ガイドから「もう行くぞ!」との掛け声。

 


これ以上、高度に居ると危険だと言うのだ。

 


こうして2人共に人生最高到達地点を更新し、下山を始めた。



Kilimanjaro_4th_7.jpg

 

 

登りで既に精魂尽き果てていた僕らにとっては、
正直、下りもこの上なくツラかった。。

 


そんな中、嫁は「頭が痛い。」と言ったら、
高山病の症状だから、早く降りた方がいい、となって、
ガイドに両脇抱えられながら、猛スピードで降りて行ってしまった。

 


一人、耐えながら降りる俺。

 


富士山の須走口のような感じだが、足の痛さがこの上ない。

 


なんとかかんとかキボ・ハットまで到着したと思ったら、
1時間ほど仮眠を取った後、すぐに出発すると言う。

 


その日中に3700mのホロンボ・ハットまで下山しなければならないのだ。

 


もはや体力も気力も限界を超えた、抜け殻状態で下山。

 


疲れもピークを超していたせいもあるだろう。

 


ホロンボ・ハットに着いた時には、僕の消化器系が異常をきたしていた。

 


夕飯に何も喉を通ることなく、その日は21時に就寝。

 


朽ち果てた体は、一瞬にして眠りについた。

 


■5日目

 


人間の体と言うのは不思議なものだ。

 


あれだけ疲れていた体が、起きれば多少動けるようになっている。

 


もちろん足の痛みはあったが、動けないほどではなかった。

 


朝も飲みもの以外、何も喉を通らなかったが、
下山するに従い、体調もよくなってきた。

 


それでも疲れは溜まっていたが、帰りはペースも速く、
行きに8時間かかった道を、5時間で降りて来てしまった。

 


ゲートで登山証明書をもらった時は、感無量だった。

  


Kilimanjaro_5th_2.jpg

 

 

正真正銘、自分の足でキリマンジャロ登頂を完遂した。

 


正直、登る前の夫婦の約束は、

 


「どちらかが倒れても、一方は山頂を目指すこと。」
(どんな夫婦や‥)

 


と言うことだった。

 


それぐらい、2人とも自身がなかったのかもしれない。

 


ただ、こうして夫婦揃って登頂できたことは、
かけがえのない経験となり、
今後の人生においても大きな自信となったことは間違いない。

 


でも、100万円もらっても、もう二度と登ることはないだろう。。

 


皆さんも、もし登る機会があったら是非に。

 

 

ただ、人生に一度でよいかと思います。

 

2010.08.09 Monday | 00:56 | comments(6) | trackbacks(0) | by KOJI

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