2010年12月で見つけたCOOL JAPAN!
2010.12.31
年末のBigイベント!『HANDMADE in JAPAN AWARD』 開催
ドイツ、デュッセルドルフ。
ヨーロッパの中心に位置し、日本人駐在員の多いこの街は、
通常、旅で立ち寄るような場所ではありません。
ただ、今回、色んな縁があって、
僕らはこの年末、この街に立ち寄ることになりました。
タイ、インドなどで実施してきた『COOL JAPAN prject』の一環で、
日本のとある企業とコラボし、イベントを実施することになったのです!
その名も、
by Creema
Creemaとは、
日本のクリエイターが創った一点モノのハンドメイド品を購入できる、
今、注目のECサイト。
このCreemaと共同で、
クリエイターの方たちから作品を公募し、
ヨーロッパで展示販売会を実施するというイベントです。
その実施場所を探していたところ、
ここドイツ・デュッセルドルフのとあるカフェが、
手を挙げてくれたのでした。
『J's Cafe & Bar Relax』
「日本の食や文化を、ドイツ、ヨーロッパに発信」をテーマに、
様々な業態をドイツで展開する、
Bricknyグループが運営するカフェバー兼ギャラリーです。
その店内は、常にお客さんでひっきりなしの
大人気店。
落ち着いたエンジを基調にした空間は、
その名の通り、リラックスできる洒落た空間です。
夜はBARの顔に。
ドイツ人好みにアレンジされた日本食は、
正直、日本で食べる以上の味。
中でも、日本人のパティシエの作るケーキは、
絶品です。
ドリンクもこだわり抜かれていて、
ジントニックは、本物のトニックウォーターを使ってます。
そんな空間を作り出すスタッフも、
最高のメンバーが揃ってます。
おちゃらけながらも、覚悟の座った男前店長、
梅崎さん。
デュッセルドルフのファッションリーダー、
若松さん。
ドイツ版滝川クリステル、
エレナちゃん。
生まれも育ちもドイツでありながら、
ビジュアル系アキバオタク、海くん。
肉を焼かせたら右に出る者はいない、
関西産セクシーダイナマイト、マコちゃん。
女性版、料理の鉄人、
YAGOSHIさん。
※本人の希望により、No Photo
そして、Bricknyグループの社長、
佐伯さん。
日本よりCreemaのCEO丸林氏も来日!
そんな心強いメンバーの全面サポートを得ながら、
準備は進んでいきました。
が、しかし‥。
今年、ヨーロッパは1000年に一度と言われる
歴史的大雪に見舞われたのです。
雪はほとんど降らないというデュッセルドルフでも、
ご覧の通りの大雪に見舞われ‥。
なんと、一部の作品が到着しなかったのです!
しかし、こればっかしは仕方ないということで、
作品とクリエイターを掲載した写真を展示し、
作品が到着するまでのあいだ、待つことにしました。
僕らは、すぐに戻って来れる範囲ということで、
フランスまでショートトリップへ。
しかし、待てども待てども、荷物が来ない。
WEBでトラッキングかけても、
いっこうに『ドイツへ到着』にすら、
ステータスが変わりません。
年内実施も、絶望的か。。
そんな悪夢も脳裏をかすめた頃でした。
クリスマス明けの27日。
突然、
『地方税関まで取りに来るように』と
お店に通知が入ったのです!
キターーーー!!!( ̄0 ̄;)/~~
最後の最後に、奇跡の大逆転。
なんと、歴史的大雪に重ねて、
郵便局側の登録ミスにより、
荷物の追跡が不可能な状態になっていた様子。
頼むよ!ドイツ郵便局!!
ヨーロッパの中じゃしっかりしたイメージなんだから!!
と言うわけで、
早速、ディスプレイ開始です。
CEO直々に陣頭指揮。
CEOの細かい指示を受けながら、
作品を並べていきます。
こうして、準備完了ー!
いやぁ、生で見るハンドメイド品は、
ものすごい迫力。
ほんの一部をご紹介すると、
種から育てたという
ひょうたんを使ったランプから、
独特の世界観のオブジェまで。
さすがは予選を通過してきた作品群です。
これはたくさんのドイツ人に見てもらいたい!
ってことで、
ドイツ語で作ったフライヤーの日時を
急遽、入れ替え、
街でビラ配りへ!
アジア人が配ってるってことで、
結構、受け取ってもらえましたよー。
そして、念願のAWARDがスタート。
お店は年末にも関わらず、大盛況でした!
続々と、お気に入りのクリエイターの作品に、
投票されていきます。
これは僕もお気に入りの、
星座が施された陶器の器↓
青が好みの彼は、
この絵に一目惚れ↓
「自分と似ててかわいい!」と、
彼女は、このお皿に投票↓
先のオブジェも大人気↓
作品名「真」 も、
文字でありながら、アートでもあり、
素敵です↓
「独特の世界観がありますね。」
と、彼は作品に興奮しっぱなしでした↓
もはや、まるで自分のモノのように
「桜の枝を使ったコップ」を持つ彼女↓
豪快なビアカップは、
デュッセルドルフの大将が離しません。
ビールのCMのようですw
スタッフの若松さんも、
このポーチには首ったけ↓
この女の子は、
クマのポーチを買ってくれー!と
お父さんにずっとねだりっぱなしでした↓
と、当日の光景の一部しかご紹介できませんが、
AWARDは大盛況でしたよ!
他写真もこちらからご覧頂けます。
クリエイターの皆さま、
ご心配お掛けして、申し訳ありませんでした!
日本のクリエイターの方々の作品は、
明らかにドイツ人の心を捉えてましたよ。
僕も、今回のイベントを運営しながら、
誇りに思いました。
気になる結果は、
1月中旬には発表になるようです。
乞うご期待ください!
こうして、僕らも
無事に年が越せることになりました。
年越しは、ヨーロッパ最後の訪問都市、
スペインはバルセロナへ。
皆さま、よいお年を。
2010.12.31 Friday | 22:59 | comments(2) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.27
ヴィトン、シャネル、エルメス‥。
イタリアに並んで、数々のブランドの発祥地、フランス。
その都には、数々のブランドの旗艦店がひしめきあっていました。
日本でもいまだに流行っているMONCLERも、フランス発祥。
パリのショップの前には、
クリスマス前とあって行列ができるほどの賑わいでした。
そんなパリにてクリスマスを過ごすことになった僕ら。
まずは、クリスマスイルミネーションで艶やかな、
シャンゼリゼ通りを練り歩きました。
まるで日本の表参道のようです。
他国と同じく、
クリスマスマーケットも催されていました。
ただ、盛り上がってるのはシャンゼリゼ通り界隈のみで、
クリスマス色一色の他のヨーロッパとは異なりましたね。
ただ、ここのストリートパフォーマンスは、
非常にレベル高し!
サンタダンサーズによるストリートダンスは圧巻でした。
その様子はこちら。
地下鉄に乗れば、
例の如く、音楽隊による即興上演♪
上手かったり下手だったりしますが、
この辺り、"芸術の都"って感じがしますよね。
変わらず、堂々たる姿の凱旋門。
そして、エッフェル塔。
これを見ると、
パリに来たなー、って感じがします。
毎刻、煌びやかに輝くんです。
このゴールデンな輝きが、
パリを象徴している気がします。
そんなパリでの過ごし方と言えば、今はこれでしょう。
マン喫、こと、
マンガ喫茶です!
フランスは、空前のジャパンブームで、
隣国以上にコミック市場でもマンガが席巻している模様。
本屋のマンガコーナーは当たり前のこと、
マンガ喫茶までもが進出しているんです!
そんなマン喫で、クリスマスイブは、
しばし夫婦それぞれの時間を過ごしました。
時には、こんな時間も必要です。
もちろん、フレンチも食べました。
ただ、旅用の汚い格好しかなかったので、
普段着でも行けるカジュアルフレンチ。
と言っても、一応、
表参道にも進出しているぐらいのビストロです。
久々の豪勢なメニューは、
野菜のスープから始まって、
サラダ風ミートパイなど。
まぁ、美味いっちゃ美味かったのですが、
想定の範囲内の味でした。
また、フランスではクリスマスに、
『ブッシュ ド ノエル』と言うケーキを食べます。
でも、これも、まぁ、ふーんって感じ。
あと、フランスと言えばの、クロワッサン。
フランス発祥のマカロンは、
McCafeなんかでも食べれちゃいます。
ただ、どれもこれも日本でも賞味可能。
これで世界三大料理と呼ばれる、
中華・トルコ・フレンチと食べましたが、
これだけははっきり言えます。
日本の食は最高にレベルが高い!
って、どこの国の人も言ってるんでしょうね(笑)
ただ、本当にそう思えます。
インド人も日本のカレーは美味い!
って言っていたぐらいですから。
こうして、フランスを堪能し終えたクリスマスイブの19時頃には、
どこも店じまいが始まりました。
マクドナルドですら、閉店ガラガラです。
そして、 なんと12月25日~1月1日まで休業。
シャンゼリゼ通りど真ん中の
マクドナルドがですよ!
日本じゃ考えられませんよね。
さすがは、労働者権利の強いヨーロッパです。
なので、僕らもイブの夜行で、
もはや家のようなドイツ・デュッセルドルフへ帰ったのでした。
荷物が届いていることを祈りながら。。
フランスのCOOL JAPANレポは、
追って紹介します!
2010.12.27 Monday | 02:11 | comments(6) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.26
ドイツでのイベントの荷物到着までの間、
ヨーロッパ最後の訪問国フランスへやって来ました!
気が付けば33ヶ国目。
今年、本当によく動いたなぁ。
相変わらず、
1000年に1度と言われる大寒波の影響で、極寒の中でしたが、
バッパーとしては、引きこもる訳にもいかず、
精力的に動いて回りました。
まずは、フランスと言えばのモンサンミッシェル!
かつて『修道院』として建てられたこの建造物は、
時に『要塞』として、時に『監獄』として、
歴史の過程に応じて役割を変化させながら存在しておりました。
今も、変わらぬ姿でそびえ立つその建造物は
時間帯によって、見せる顔つきを変えます。
夕暮れ後↓
朝靄時↓
そして、界隈の夕焼け時の空↓
歴史的建造物を見ても、
不感症なのか、何も感じにくくなっていたのですが、
ここのこの景色には、思わず立ちすくんでいました。
かつて、この界隈は、
ヨーロッパの中でも最も潮の満ち引きのある場所として知られ、
満潮時と干潮時の差は、なんと15mも高低差があったんだとか。
満潮時は海に浮かぶ島となり、
干潮時には、自然に現れる陸橋で陸と繋がっていたよう。
最も潮が満ちるのが、満月と新月の1日後のようで、
引き潮で沖合18kmまで引いていた潮が、
猛烈なスピードで押し寄せてきたようです。
何人もの人が、その潮に飲み込まれて死んだんだとか。
なので、かつては、
「モンサンミッシェルに行くなら、遺書を置いて行け。」
と言われていたほどです。
しかし、陸続きの道路の建設によって、島の周囲は急速な陸地化が続き、
今では海の中に浮かぶ島の姿は、ほとんど見られなくなってしまいました。
我々が訪れた日も満月のタイミングでしたが、
潮が満ちることはありませんでした。
ただ、今でもその姿は一見の価値ありです。
続いて、パリ近郊に位置する、ヴェルサイユ宮殿!
雪が降りしきる中訪れたため、
外観はどんよりでしたが、中は圧巻。
かつて、ルイ14世が建てた、
フランスの絶対王政の象徴である建造物です。
豪華な執務室。
悲劇の王妃マリーアントワネットの寝室もあります。
かつて使われていたテーブルセットも。
今日広まっている洋食のテーブルマナーは、
このフランス王政の貴族たちによる晩餐時のものが、
フランス料理と共に、世界中に広まったようです。
宮殿内では、フランスの歴史についての絵画も
見ることができます。
かつての権力者って言うのは、
世界中どこでも、こうした立派な建造物で、
地位や名声をアピールするもんですね。
その辺りの感覚、今の時代とは大きく違う気がします。
今の権力者は何で力を表すんでしょうね?
夜のクラブでいばったりとか(笑)
ただ、驕れる者も久しからず。
フランスは、その後、
こうしたヴェルサイユ宮殿の歳出などが財政を圧迫し、
ルイ16世時にフランス革命によって王政が崩壊。
マリーアントワネットもギロチン刑に処せられます。
そして、時代は勇将ナポレオンの帝政へと。
過度の権力誇示は、やはり淘汰されてゆくものです。
やっぱり何事もバランスが大切。
ヴェルサイユ宮殿を見て、
そんなことを感じたのでした。
そして、フランスの旅は、
クリスマスで盛り上がるパリへと。
つづく。。
2010.12.26 Sunday | 09:39 | comments(0) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.22
クリスマスですね。
ここヨーロッパは、キリスト教の国々。
まぁ、クリスチャンではないのですが、
イベント巡りの一環として、
この真冬にヨーロッパに滞在することにしてます。
ヨーロッパの冬の寒さは、噂には聞いておりましたが、
今年は1000年に1度と呼ばれる大寒波が襲来。
寒いどころか、極寒です。。
そんなヨーロッパでは、
クリスマスまでの4週間を『アドベント』と呼び、
各都市で催し物が開催されます。
よく目にするのが、クリスマスマーケットと呼ばれる、
日本でいう、お祭りの屋台群のようなマーケット。
各都市を代表する大きな広場に、
この屋台村が出現するのです。
まずは、ハンガリー、ブダペスト。
若干、小規模ながら、
手作り感ただようマーケットは愛着が持てます。
ステージでは、学芸会の親子の出し物なども催され、
郷土感満載です。
中でも、特筆すべきは、
以前のブログでも書きましたが、
クルトスカラーチと呼ばれる「巻き巻きロール」!
カラメルと砂糖と一緒に練り込んだロールを、炭火で焼き、
それにカカオパウダーなどまぶしたモノで、
おやつとしては絶品です。
続いて、オーストリアはウィーン!
市庁舎前広場のマーケットは、
かなりの規模感と迫力。
販売されているものも、手作り感と洗練さが交じり合い、
なかなか見応えあります。
これも以前のブログで書きましたが、
必食は、オーストリアンシュニッツェル!
いわゆるカツレツですが、
あまり脂っぽくなく、あっさりしていて美味しです!
そして、チェコ、プラハ。
周囲の建物と相まって、
その綺麗さと言ったら、ハンパじゃありません。
ここにも、ハンガリーの巻き巻きロールのようなものがありましたが、
もちもち感がなく、軍配はハンガリーへ。
ただ、この「ブランボラーク」と呼ばれる、
日本のお好み焼きのような食べ物は美味!
チェコは若干、味濃い目なのですが、
自分好みで、結構ハマりました。
そして、クリスマスマーケットが一番盛り上がると聞いていた、
ドイツ!
まずは、ベルリン編。
数か所で開催されているベルリンは、
宮殿前広場が一番大きい開催地とのこと。
ドイツならではの飾り付け、
クリスマスピラミッドも各地に展示されています。
テレビ塔付近のマーケットには、
スケートリンクも設置されていました。
他にも、メリーゴーランドとかアトラクションもたくさん。
オクトーバーフェストもそうでしたが、
ドイツ人はエンタメ施設大好きですね。
そして、クリスマスマーケット発祥の地とも言われている
ドレスデンのマーケット。
昼に訪れたので、雰囲気は出てませんでしたが、
一つ一つのブースの飾り付けは、一番でした。
必見は、ドイツと言えばのこのグッズ。
くるみ割り人形です。
ただ、これはただの飾りなのですが、
下のお香ホルダーは、口からお香がほとばしる優れモノ。
日本でも高値で売られているようで、
こいつは買いですね。
あと、ドイツが一番美味しかったのは、
グリューワイン(ホットワイン)!
どこの国でも振舞ってましたが、
ドイツの味付けが一番僕らの口には合いました。
このホットワイン、
その土地ならではのデザインが施されたカップで振舞ってもらえるのですが、
デポジットさえ払えば、カップを貰って帰ることも可能。
うちらはやりませんでしたが、
クリスマスマーケットを巡って、このカップを集めてみるのも乙かと。
こうして振り返ると、クリスマスマーケットは、
ドイツは小さな都市でも開催されている意味では盛り上がっていますが、
チェコやオーストリアのモノも負けていませんでしたね。
むしろマーケットの数が少ない分、
そこに人が集まっていて盛り上がっている感じがしました。
そして、このアドベント期間は、
クリスマスまでの日付の窓をめくるアドベントカレンダーで、
クリスマス気分を盛り上げるんです。
迎えるクリスマス当日(25日)は、
ほとんどの人が家族と過ごすため、
街中のお店がクローズになるようです。
差し詰め、日本のお正月のような感じですね。
僕らも夫婦家族で、まったり過ごします。
クリスマスについてのうんちくをまとめた
小生のR25連載記事はこちら。
僕らは、
クリスマスをパリ⇒デュッセルドルフで過ごし、
年越しはバルセロナの予定です。
今年もいよいよおしまいですね。
皆さまにとって、
よきクリスマス&年越しになりますように。
2010.12.22 Wednesday | 08:41 | comments(0) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.21
イスラエルで目の当たりにした、
パレスチナとの境界線にそびえる、
人と人とを隔てるための壁。
かつて、同じように壁によって隔てられていたのが、
ここベルリンでした。
GDP世界第4位の国の首都として栄えるその都は、
もはやその遺恨を感じることすら難しいほどの都会ぶり。
ただ、街の至るところには、崩壊された壁の一部が残されており、
当時の面影を少なからず感じることができます。
今、その壁には、
世界中のアーティストによってアートが施されていて、
平和の象徴として、建て残されたままでいるんです。
今やベルリンは、若手アーティストが集まる
街としての一面も持つようです。
統一ドイツの象徴として建てられいる
「ブランデンブルク門」。
この前では、パレスチナ問題の平和的解決を
訴える運動をしている人々の姿も目撃しました。
昔のことのように感じますが、
ベルリンの壁が崩壊されたのは1989年。
ものの20年程前の出来事でしかないのです。
その間に、地球上にはまた別の壁が建設されている訳で‥。
しかもその壁を建設しているのが、
ナチスドイツによって迫害を受けた側のユダヤ人。
またしても、歴史は繰り返されてしまうのか。
状況は違えど、色々考えさせられます。。
また、ベルリンには、
かつてのナチスドイツが犯してきた犯罪を包み隠さず展示した
「テロのトポグラフィー」という呼び名の博物館があります。
そして、僕らが訪れたアウシュビッツ等の収容所で、
ナチスが大量虐殺をしたユダヤ人を追悼した石碑群まで。
この中に入ると、
ユダヤ人が逃げ彷徨った時の様子が感じられるように、
迷宮のような仕組みになっているんです。
梨紗の書いたアウシュビッツのブログにもありましたように、
ドイツは、自分たちの犯してきた罪をしっかりと認め、
それを口に言うのみならず、
キチンと後世に伝えていくような取り組みをしていました。
敗戦国で、かつ、ヨーロッパの中心に位置するため、
そうしなければ他国と協調してやっていくことができなかった背景はありますが、
過去の犯罪を口では謝罪しても、行動で示さない日本と比べ大人だな、
と感じさせられました。
そんな中、ベルリンの中心部の
ポツダム広場を歩いていた時のこと。
突然、警察のようななりをした人がブースを構えだし、
旧東ドイツのスタンプとビザを発給する窓口を構えたんです。
半信半疑でいくらなのかなど質問すると、
5ユーロでポストカードも付けてくれるとのこと。
と言うわけで、押してもらっちゃいました!
旧東ドイツだけならず、5つの区域別スタンプ!
しかも、パスポートに!!
東ドイツなのに日付は先日の日付になってます。
これ、本当に大丈夫なんでしょうか‥?
警察らしき彼は、「大丈夫じゃなきゃここでブースできんよ。」
と言っていましたが。。
まぁ、確かにポツダム広場のど真ん中ですから、大丈夫っしょ。
こんな調子で、日中でも平気でマイナスの
極寒ベルリンでの生活は過ぎてゆきました。
2010.12.21 Tuesday | 05:17 | comments(2) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.15
旅をしながら、違う街を巡り続けると、
自分の好みの街のタイプが見えてきます。
これまで気に入った街の数々。
ロンドン、イスタンブール、等など‥。
そして今回、ここプラハへ足を運び、
その条件がだいぶ明らかになってきました。
その壱、
街に運河が流れていること。
ロンドンにはテムズ川が流れていたし、
ここプラハにもヴルタヴァ川が流れてましたし。
その弐、
街のサイズが手頃であること。
広すぎず、狭すぎず、
2~3日かけてじっくり歩いてちょうどいいくらいの
サイズがお気に入り。
その参、
街に味があること。
キレイなのは言うまでもなく、
建物に歴史が加わると、最高の味が出ます。
特に、ここプラハの街並みは、
これまで見てきたヨーロッパの街並みの中でも、
別格に味わい深い!
と言うのも、戦争で多くが破壊されることなく、
中世の街並みがそのまま残っているようなんです。
旧市庁舎も残されていて、
今は街の時計塔として役割を果たしています。
旧市庁舎塔には、
15世紀に作られた天文時計が、
未だに止まることなく時を刻んでいます。
そして、プラハの目玉のプラハ城にそびえる
聖ヴィート大聖堂は、圧巻です。
正直、建築物を見てもあまり感動を覚えなくなっていたのですが、
プラハのこれには圧倒されました。
ゴシック建築の中では、最高峰ではないでしょうか?
そんな街並みに囲まれているため、
クリスマスマーケットもこれまた素敵。
絵になるったら、仕方ない。
置いてあるものも、
チェコ名物の、マリオネットや、
隠れたマンガキャラクター大国チェコの
人気キャラクターもぐらの『クルテク』グッズなども、
並んでます。
そして、住みたくなる重要な条件の"食"に関しては、
世界一美味いといわれるチェコビール!
ピルスナーが有名ですが、
正直、僕にとっては、若干薄めでした。
ただ、ブランボラークと呼ばれる食べ物は、
日本のお好み焼きのような味で、美味し!
そして、ハンガリー以来、オーストリアにもあった、
巻き巻きロール!
チェコでもまた見つけてしまいました。
製法は同じでしたが、
味付けは砂糖のみ。
サイズもハンガリーのものと比べると小さくて、
軍配はやっぱり本場ハンガリーにあがりましたね。
でも、食は全体的にも、
味付けがしっかりしていて、美味かったです。
こんな理想的な街に住ん方がでいらっしゃる、
現地赴任の商社マンにお会いすることができました。
それも、ツイッターで
『プラハに弟が住んでますよ!』
と、ご紹介頂いた方で、
はっきり言って、
僕らにご馳走して頂く義理は全くないんですが、
なんと、
「ここは俺の庭だから。」
と、チェコ料理をたらふくご馳走して頂いたのです。
中でも、このタルタルと呼ばれる食べ物は、
日本で言うユッケのような生肉で、激美味!
初対面とは思えないほど、気さくに話して頂き、
話題は多方面に及びました。
そんな中、とても印象に残る言葉を残して頂きました。
『経験とは困ったもので、過去の成功・失敗体験が、
何時でも何処でも当てはまると考えてしまうところがあります。
ただ、タイミング・場所・やり方等によって、
また外部環境・市場環境によって、
過去の実績は覆されることも多々あるんです。』
いや、本当にこの言葉には勇気づけられました。
Sさんご家族、本当にありがとうございました!
こんな理想的な街で、
かっこいいお父さん、素敵な奥さんを見ながら育ってる子供2人が
うらやましい限りでした。
そんなプラハ滞在でした。
チェコはまだまだ見切れなかったから、
また戻ってこよっと。
中欧は再来間違いなし。
2010.12.15 Wednesday | 06:31 | comments(5) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.13
この旅を通じて、目の当たりにしてきた、
世界で起きている問題の数々。
タイのタクシン派によるデモから始まって、
チベット問題、パレスチナ問題、等々‥。
その多くが、民族同士の争いでした。
そんな民族問題の中でも、
人類が犯した最大の過ちの一つの残骸が、
『アウシュビッツ強制収容所』ではないでしょうか?
ナチスドイツが、国家政策として
ユダヤ人を排除しようとし、大量虐殺を行った場所。
同じ人類として、この惨劇は見ておくべきだと感じ、
一度、学生時代にも訪れたことがある場所でしたが、
妻にとっては初めてだったので、再度訪れることにしました。
今回はアウシュビッツで働く唯一の日本人、
中谷剛さんをガイドに付いて頂いて。
おかげで、理解度は数段、高まり、
かつ、多くの疑問提起をして頂けました。
ってか、前回、個人で訪れた時は、
ほとんど分かっていなかったんだな、と。。
アウシュビッツはポーランドのクラクフ近郊の街、
「オシュフェンチム」という街にあります。
クラクフからの電車は、
当時、ユダヤ人たちがアウシュビッツまで運ばれた時と
同じレールの上を走っているとのこと。
バスの方が利便性は高かったのですが、
あえて、電車で向かうことにしました。
さみしげな電車に揺られること1時間半。
降り立ったオシュフェンチムの駅は、
雪景色でした。
気温もマイナスの極寒の中、まずは歩いて、
ビルケナウ強制収容所へと向かいました。
ビルケナウとは、
アウシュビッツでは裁き切れなくなったユダヤ人を
さらに収容、虐殺するために作られた場所。
言わば、アウシュビッツの第2収容所のようなところです。
その入口は、
ひっそりとした雰囲気で佇んでいました。
中に入ると、アウシュビッツの数倍の広さに、
収容棟が無数に建てられています。
この収容棟に、
入り切れるだけのユダヤ人が押し込められ、
ドイツ企業などの末端の作業を強いられていたんです。
その内の一つの収容棟に入ってみると、
3段ベッドが所狭しと並べられています。
この一つのベッドの上に、
5人寝かせられていたんだとか。
ただ、ここに収容された人たちは、
労働力になる一部の人たちだけでした。
労働力として認められなかった14歳以下の子供とその親や、
収容しきれなかった多くのユダヤ人たちは、
運ばれて来るや否や、殺されたのです。
その選別をしていた場所には、
当時使われていた貨物車両とレールが残されています。
ここで、軍の医者によって選別され、
労働に適さないと判断された場合は、
そのままガス室へ連れていかれました。
今でもその場所には、
絶えず花束が置かれています。
その大量虐殺を行った現場のガス室は、
ドイツ軍が証拠隠滅のため破壊していったとのこと。
その姿は、ありのままの姿で残されています。
そんなユダヤ人を虐殺から守ろうとした
政治犯が銃殺された『死の壁』。
その多くは、ポーランド人の活動家だったようです。
その麓にも、多くの花束と、
ユダヤ人による追悼の意を込めた石が置かれていました。
そして、舞台はアウシュビッツへ。
入口には有名な、
『ARBEIT MACHT FRET』
※働けば自由になれる
と、ドイツ語で記したサインが
掲げられています。
収容棟のつくりは、
後から作られたビルケナウよりは立派なものでした。
と言うのも、当初のアウシュビッツは、
ユダヤ人を虐殺するための場所ではなく、
ドイツに歯向かった政治犯を収容するのが主な目的だったようなのです。
それが、後にユダヤ人大量虐殺センターへと、
機能を変化させていくことになるのです。
この時、雪足はさらに強まり、
当時の労働の過酷さを身にしみて感じることができました。
12月上旬時点で、-6℃です。。
こんな環境ですから、
労働力として認められ、収容された場合においても、
たいていの人は過酷な労働に耐えかねて、
2~3カ月で命を落としていったようです。
脱走を防ぐために、
周囲は電流が流れる有刺鉄線で、
2重に囲われています。
収容棟の一部は見学することができ、
中には、当時押収されたカバンや、
大量の靴などが展示されています。
親族がことごとく殺されてしまったため、
戻す先がないとのことなのです。
そして、こちらには大量虐殺の現場、
ガス室が当時のままの姿で残されていました。
この狭い部屋の中に、最大900人が押し込められ、
殺虫剤として使われていた毒ガス・チクロンBが撒かれ、
10~20分かけて殺された、とのこと。
そして、その死体を流れ作業のように、
隣の部屋の焼却炉で焼いていったんだとか。
しかも、その作業を担わされていたのも、
同じユダヤ人。
同胞が同胞の虐殺を
手伝わさせられたのです。
こうして、統計がとれているだけでも、
110万人のユダヤ人がここで虐殺されました。
戦時中とは言え、
人間は、ここまで残酷になれるんですね。
霊感のまったくない僕でしたが、
中ではゾクゾクしたし、
はっきり言って人間の残忍さに恐ろしさを感じました。
我々は、この歴史から学ばなければならないわけで、
何故、こんなことが起きてしまったのか?
を考えることは、非常に重要です。
背景として、
ナチスドイツを生み出したヒットラーは
民主主義による公正な選挙で選ばれた党首だった、
ということ。
第一次世界大戦の敗戦で、
世界から巨額の賠償金を要求されていたドイツは、
1929年に始まった大恐慌により、
危機的状況に追い込まれることになります。
失業率も高まる中、
失望した人々の期待を背負ったのが
ヒットラーだったわけです。
当時の状況は、
今の経済不況の世の中においては、
十分に起こりえる状況ではないでしょうか?
そんなヒットラーは、
ドイツが混迷を極めているのも、全てはユダヤ人のせいだ!
と、決め付けたのです。
エルサレムからヨーロッパ中に移住をしていたユダヤ人は、
当時、汚い職業とされていた金融業などに就いていた人も多く、
経済危機をそんなユダヤ人になすりつけることは容易だったのでしょう。
ただでさえ迫害を受けていたユダヤ人に対する感情は、
ここで一気に噴出することになったのです。
ここにも、人間の性が垣間見えます。
僕ら日本人の韓国に対するライバル感情や、
最近、噴出している中国人の反日感情。
こういった潜在的に眠っている感情は、
危機的状況に追い込まれると、
思いっきり露呈してしまうということ。
ここに社会的強弱が加わると、
強者が弱者をいじめる構図に必ずなります。
恐らく、人間のこの感情を押さえることは、
不可能なのではないでしょうか?
それが人間が抱える、自然な感情だからです。
人類が作り上げた最良の体制と呼ばれていた
民主主義で選ばれた党首が、
人間の感情を揺さぶって行った大量虐殺。
それでは、喰いとめることはできなかったのでしょうか?
僕が感じた一番大きな問題点は、
その実態を知っておきながら、
見て見ぬふりをした"傍観者"が数多く存在したこと、です。
映画化された「シンドラー」のように、
ユダヤ人を救った人もいたことは事実です。
ただ、その数が余りにも少なかった。
確かに、戦時下ですので、助ければ、
自分の身に危険が及ぶこともあったという状況はあったでしょう。
それでも、人間の尊厳を考えた時、
行動に移せる人がもう少しいるべきだったのではないかと。
それは、今のこの世の中に対しても、
同様のことが言えると思います。
混迷を極める政治、広がる貧困問題、地球温暖化など、
世界、ましてや日本にも腐るほど問題はあるのに、
それに対して、"傍観者"が余りにも多すぎるという実態。
特に、今の状況は殺されるわけでもなんでもないのに。。
もちろん、自分含め、です。
まずは、自分のできることから少しでも努めていくことの重要さ。
それが、民主主義の中で、
暴走していく社会を少しでも変えていく
唯一の手段なのではないかと。
そんなことを、このアウシュビッツ訪問で
強く感じたのでした。
やっぱり見て見ぬふりはよくありませんね。
長文になりましたが、
もし機会がありましたら、
是非一度、アウシュビッツへ訪れてみてください。
人類として見ておくべき場所だと、
改めて思いました。
2010.12.13 Monday | 03:44 | comments(7) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.12
ハンガリーでまったり温泉に浸かった後は、
オーストリアはウィーンに来てみました。
いやぁ、その都会ぶりにビックリ!
おまけに、クリスマスイルミネーションと相まって、
綺麗ときた!
この街並みとイルミネーションは、
洗練されすぎ!
バックパッカーの汚い格好で歩くには、
はばかれるぐらいです。。
路上では、マリオネットが、
ピアノ演奏のこんなパフォーマンスを‥。
そう、ウィーンと言えば、
あのモーツァルト、ベートーベンなどが活躍した
音楽の都!
まったくと言っていいほど、クラシックには疎い我々でしたが、
UtadaのライブをUstreamで観てテンション上がっており、
思わず、勢いでクラシックのコンサートに足を運んでしまいました!
しかも、
ハプスブルグ家の栄華を象徴する
シェーンブルン宮殿が会場で!
またもや、バックパッカーの汚い格好には
完全に場違いな場所。。
夜行バス明けによる眠気との戦いでしたが、
さすがは本場、ウィーン。
単なるコンサートだけではなく、
オペラあり、バレエありの、観客を飽きさせない構成だったので、
眠るどころか、ノッてました。
素晴らしかった!
ただ、Ustreamで観たUtadaもよかったなぁ。。
こうして世界同時に感動を共有できるなんて、
インターネットの力はスゴいですよね!
そして、ウィーンのクリスマスマーケットは、
他のものと、規模の面では圧倒的に勝ってました。
特に、市庁舎前広場の規模は最大級。
売ってるモノも、洗練されてましたね。
そして、ウィーン名物シュニッツェル!
美味い、美味いとは聞いてましたが、
本当に美味い!
衣はサクサク、中はジューシーなカツレツ。
ってか、揚げ物なのに、油っこくないんですよね。
最近、飯のことばっか書いてますね、自分。
でも、美味いもんは美味いんです。
そんなウィーンでの滞在。
印象的な出来事が一つ。
マックでランチを食べていた時のこと。
ふと、隣の黒人のおっちゃんが、
『日本じゃマックとか喰わないんだろ?
日本人は健康志向だから。』
と話し掛けてきました。
そっから、日本人の特性に話が及んでゆき、
『日本人には特定の信仰宗教がない中、
何を頼りに生きているんだい?』
と、聞かれたのです。
そう、ここはオーストリア、
カトリック教徒が国民の80%を占める国です。
彼らにとっての指針は、
ジーザスの定めた道標。
つまり、聖書です。
そんな彼らにとっては、
無宗教の日本人がどうやって生きているのかが、
不思議でならないわけです。
これは、ここオーストリアに限ったことではなく、
これまで旅してきた国々のほとんどには、
信仰されている強い宗教がありました。
ムスリムなんかにとっては、
アッラーの神に仕えることが、
信仰者に課せられた唯一の使命なわけですから。
おそらく彼らからすると、
日本人のような無宗教のメンタリティーが
理解できないのではないかと。
僕らからすると逆なんですけどね。
これは興味深いな、と思いました。
僕は、その質問に対し、
『日本人は、その時の師匠、
つまり先生や、先輩、上司に
忠実に従う姿勢を持っている。
それは、昔ながらの武士道精神から
来ているものだと思う。』
と、応えておきました。
それに対し、彼は、
不思議がりながらも納得した様子でしたが、
応えた自分としては、
今の日本にはそんな精神があるのだろうか?
と自問自答してしまいました。
日本人のメンタリティの支え、
生きる指針とは一体何なのか。。
みなさん、どう思います?
無宗教ゆえに、人それぞれなんですかね。
そんなことを、考えさせられた、
ウィーン滞在でした。
2010.12.12 Sunday | 08:08 | comments(10) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.10
さぁ、いよいよ本格的に寒くなってきました。
クロアチア、ザグレブで2人で1000円で冬支度を済ませ、
向かった先は、ハンガリーはブダペスト!
ブダペストって、
ブダ側とペスト側に分かれてるですね。
王宮のある方が、かつて都として栄えたブダ側、
商業を中心に栄えたペスト側、
それを繋いだのがこのくさり橋なんだとか。
ドナウ川のほとりにたたずむ国会議事堂は、
世界一美しいと呼び声が高いです。
これが国会議事堂っすよ。。
また、ブダペストは、
ヨーロッパの中でも夜景がキレイなことでも有名です。
確かに、この街は、
夜になると輝きを増す気がします。
そして、西側に進むにつれ、
クリスマスマーケットもマーケットらしくなってきました!
デアーク広場で開かれているクリスマスマーケットは、
規模も手頃で、ものすごいアットホームな雰囲気!
ステージでは、
学芸会のようなギターの親子連弾や、郷土ダンスが披露され、
手作りのクリスマスオーナメントを売るお店から、
ヨダレも滴る飲食店まで。
そうそう、ハンガリーも飯美味しです!
シリアから始まって、
中欧は食のレベル高いっすね。
そんな中で見つけたマイブーム。
Kürtőskalács(クルトスカラーチ)
というこのお菓子!
パン生地に、カラメルと砂糖をまぶして、
炭、もしくは、電気窯で焼き上げるのですが、
これが、焼き立てで出してくれるもんだから、
外はカリカリ、中はもちもちなんです!
甘党の私にとっては、たまらんおやつになりまして‥。
ブダペスト滞在中に3回も食べてしまいましたよ。
行かれる方がいたら、是非トライしてみてください!
オススメは、カカオ(チョコ)味です。
そして、ハンガリーで欠かせないのが、これ。
ハンガリー名物、温泉です!
ハンガリーは世界的にも有名な温泉大国でして、
なかでもブダペストには100を超す源泉があるんだとか。
その内のひとつ、キラーイ温泉へとお邪魔してきました。
日本のように、男湯、女湯がある訳ではないので、
曜日によって、男湯、女湯、混浴が分かれており、
僕らが行った日は混浴の日でした。
ただ、受付でお金を払おうとした矢先、
僕を見つめる番頭のおじさんの上目づかいは、
完全にそっち系。
ロッカーの鍵を管理しているおじさんも、
ピチピチの白シャツ着て、
ジロジロ人の下半身見てくるし。。
そう、ここの温泉、
巷では噂のホO温泉だったのです!
この日は混浴ゆえに、ことなきを得ましたが、
男湯の日は、壮絶な光景を目の当たりにするんだとか‥。
おお、くわばら、くわばら。。
硫黄の臭いがプンプンとする中は、
確かに温泉です。
ただ、日本のより若干緩めに設定されていて、
一番大きな湯船のお湯は37度くらいの設定。
一番熱くても40度くらいですから、
日本人の僕らにとってはぬるめですね。
薬草サウナもあって、
久しぶりにサウナ→水風呂コースを
堪能してしましました。
冬の汗をかかない時期は、
やっぱりこれが最高に気持ちいい!
極寒のヨーロッパでの温泉は格別でした。
ただ、帰り道で速攻湯冷めして、
一緒に行った日本人の男の子は、
その後、風邪をひくはめに。。
ヨーロッパの冬はなめちゃいけませんね。
よく見たら、ハンガリーで既に、
北海道より北に位置していますから!
でも、僕らの旅は、
まだまだ北へと向かいます。。
2010.12.10 Friday | 02:26 | comments(4) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.06
日本へ緊急一時帰国することになったため、
一時は諦めていた街、クロアチアのドゥブロクニク。
魔女の宅急便の舞台(?)
と、僕らが思っていた街です。
ブルガリアから、ルーマニアへと向かおうとした矢先、
いつもの通り、地図帳とにらめっこをしていると、
なにやら、ブルガリアから近そうじゃないですか!
と言うわけで、早速ルート変更。
アンディに一緒にバス停へ行ってもらって、
バス会社をしらみ潰しに聞いていくと、
直通バスはなく、どうやら、
ブルガリア⇒セルビア⇒モンテネグロ⇒クロアチア
と辿れば、ドゥブロブニクへ行けるとのこと。
なんと1回で3回の国境越え!
でも、それが直線ルートで一番近いらしく。
えぇい、行きたいもんは行きたい!
と言うわけで、25時間かけて行ってやりました。
憧れのドゥブロブニク!
街中には、魔女の看板も見かけたほど。
ジジもいました。
完全に、気分は魔女宅の世界に迷い込んだ気分。
ただ、この時のドゥブロクニクは、
10日間ほど集中豪雨に見舞われていたんです。
僕らが訪れた日も、豪雨真っ只中。
アドリア海も、大荒れです。
↑台風レポーターのつもり、らしいです。
だから、写真もどよーん。。
仕方ないから、城壁の中から激写。
なかなかいい絵が撮れました。
しかし、この旅中、ほとんど雨という雨に降られていないうちら。
今回もなんと、晴れ男晴れ女パワーを発揮することに。
翌朝起きると、
ピーカンまではいかないけど、
雨が上がったー!!
と言うわけで、
ドゥブロブニクの街並みを一望できる、
スルジ山へ登山開始!
上空から見下ろす旧市街の街並みは、
筆舌に尽くしがたい。
ちなみに、奥の島は、夏はヌーディストビーチになるようです。
登山の道中、僕らがひたすら挑戦していたのは、、、
ホウキを使った飛行体験!
魔女宅の中でキキが念じていたように、
念力を込めて飛ぶと、、、
ほら、飛べた!
(ちなみに、ホウキ以外は合成じゃないです。)
梨紗も、顔が引きつってますが、
なんとか飛べました。
いやぁ、恐るべし魔女宅の舞台‥。
ちなみに、このカットを撮るために要した枚数、
なんと100枚以上!
本当、どんだけヒマなんだと。。
やりきった後に、
僕らを待っていた夕焼けは、
本当にキレイなものでした。
たぶん、この夕焼けは、
この旅の中でもトップ3には入りますね。
ちなみに、そんな晴れた旧市街の街並みも、
クリスマスツリーも飾られ、素敵な街でした。
そんなドゥブロブニクは、
実はなんと魔女宅の舞台の街ではなかったらしく。。
舞台はストックホルムらしいです。
ジブリの公式HPでも、
そう書かれていました。
まぁ、何にせよ、素敵な街でした。
飛べたし。
今度は夏に来たい。
いや、来る。必ずや。
2010.12.06 Monday | 20:43 | comments(6) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.05
"ブルガリア"
その国名は、何故か響きがいい。
何故か?
明治ブルガリアヨーグルトのおかげ?
いやいや、この子がいるからです。
1年半前、
ブルガリアから日本への初の留学生として、
嫁の家にホームステイしていたアンディ。
来日時はほとんど日本語話せない留学生が多い中、
彼女は最初っから日本語を上手に話せる程の才女でした。
ホストシスターの嫁とは仲良しで、
一緒にアキバのメイド喫茶とか遊びに行ってたとか。
そんなアンディは、ブルガリアの首都ソフィア在住。
旅路の途中、立ち寄ったソフィアでは、
アンディ宅にお世話になることができたのです。
この旅中、人のお世話になりっぱなしの僕ら。
本当に恐縮です。。
おかげでブルガリアでは、
リアルな現地生活を送ることができました。
アンディのお母さんが振る舞ってくれた、
これでもか!というぐらいのブルガリア料理。
朝食には、バニッツァという
中にホワイトチーズやハムの入ったパイや、
クレープを振る舞って頂き、
ブルガリアヨーグルトは言うまでもありません。
味は、現地で食べている分、美味い。
昼食には、野菜をふんだんに使ったスープや、
アドリア海で獲れた魚料理を。
夕食には、
ホワイトチーズをふんだんに使ったサラダや、
アンディが日本でも振る舞ってくれた
ピーマンの肉詰めならぬ、米詰め料理など、
豪華な食卓!
正直、旅の1ヶ月分くらいの栄養分を、
滞在中、一気に蓄えさせてもらいました。
観光も
初日はアンディカップルが、
ソフィアの中心街を案内してくれて、
2日目は、アンディブラザーカップルが、
コプリフシティツァと言う、
ブルガリアの古い街並みが残る近郊の街へ
連れて行ってくれて、
ブルガリアの新旧の暮らしぶりを
垣間見られました。
夜には、アンディの友達たちと、
夜の街に繰り出してボーリングしたり。
みんな、
ゲストの僕らに1位2位を独占させてくれるほど、
気が遣える出来た子たち。
10歳年下の子たち相手にムキになってた自分を
少し恥じました。。
そして、ブルガリア滞在で欠かせない子が、
もう一人。
アンディ宅の子犬、サミーちゃんです!
子犬と言えども、体重26kgもある大型犬なんですが、
この子が、甘えん坊ったらありゃしない。
いつ、何時も、誰かと一緒にいないと
気が済まないんです。
当然、ご飯時には、
足元からひょっこり。
歯磨きをしていても、
足元にちょこん。
寝る時には、
人の上にでーん!と。
外で風が吹こうものには、
恐くて、人に抱きついてくる始末。
大きい分、ジャレ合うと言うよりも
完全にプロレスごっこです(笑)
でも、本当にかわいい奴でした。
そんな感じに、ブルガリアでの楽しい日々は
あっという間に過ぎて行きました。
帰る日、アンディは授業をさぼって、
バス停まで僕らを送ってくれました。
そして、こしらえてくれたサンドイッチと一緒に、
「バスの中で読んでね。」
と、ブルガリアでの写真と手紙を渡してくれました。
御礼をするのはこっちの方でして。。
普通、逆!
アンディの親切心に心打たれまくりでした。
この旅を通じて、
人の温かさ、親切さを改めて痛感しております。
人は一人じゃ生きられないし、
助け合って生きているんだということ。
いつか自分が人から頼られたとき、頼られなくとも、
この恩返しはしていきたいと思います。
押忍。
2010.12.05 Sunday | 05:23 | comments(2) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.04
アジアとヨーロッパの架け橋、イスタンブール。
その表現は、この街のみ許されている、と言われている通り、
イスタンブールの街はボスポラス海峡を挟んで、
アジアサイドとヨーロッパサイドに分けられいます。
その全体から醸し出される雰囲気は、まさに、
ヨーロッパのエッセンスに、アジアのカオスを、
織り交ぜたかのような色合い。
旧市街には、ブルーモスクを中心に、
これまでの中東の街と同じく
スーク(オールドバザール)が存在しているのですが、
そのキレイさと言ったら、
スーク(市場)と言うより、モールのよう。
カオスの中にも、秩序がある様は、
まさに、ヨーロッパの中のアジアです。
接客もあまり、しつこくないのも、ヨーロッパっぽい。
値引きしようものなら、
じゃあ売らないよ!ってな具合。
一方の新市街は、洗練されたヨーロッパの様相。
西欧化されたアジア人としては、
この美味しいトコ取りの街並みはたまりません。
広すぎず狭すぎない街の大きさも、
心地よさを感じます。
そして、食がまた豊富なこと!
お馴染みドネル・ケバブに、
のびーるトルコ・アイス、
そして、イスタンブールと言えばの、これ!
このサバ、身に油が乗っていて、そもそも美味いのですが、
これを、世界一美味いと言われる『エキメッキ』というトルコのパンで挟むと、
最強のコラボレーションが生まれるんです!
エミノミュ名物、『サバサンド!』
マジで美味い。。
この旅のフード、トップ3に入りましたよ。
こんな街並み、食ともに、豊かなトルコ、
住みたい街ランキングにも、
ロンドンに続きランクインしそうでした。
この事件が起こるまでは‥。
トルコ式風呂『ハマム』をご存知ですか?
実際は、トルコだけならず、
中東全体に広がる公衆浴場のことです。
体を洗うだけでなく、
赤スリやマッサージも受けられることで知られており、
観光客も多数訪れます。
中東での疲れを癒そうと、
最後のトルコにとっておいた楽しみ。
それでも、極力節約したい僕らは、
地元民向けの現地価格のハマムに足を運びました。
これが、大誤算。。
一見、キレイに整備された更衣室。
ここで、タオル一枚に着替えます。
そして、出てきた我がマッサージ師。
この太鼓腹の親父が大の曲者だったのです!
右も左も分からない中、
言われるがままに、サウナ室で汗を流すこと20分。
いい具合に、体もふやけてきたところで、
太鼓腹の親父のもとへ。
すると、何を思ったか、
洗礼の張り手を背中に一発!
バチーッン!!!
『いてぇ!!!!!』
思えば、ここで僕が叫んだのが間違いだったのか‥。
親父のS心をくすぐってしまったようで、
その後、ボッコボコにされることになったのです。
まずは、
その垢スリの力強さと言ったら、
ハンパじゃない!
垢と一緒に、乳首ももっていかれそうになりました。
そして、垢スリが終わったと思ったら、
今度は、まるでプロレス技のようなマッサージが!
痛さのあまり、悶絶していると、
さらに強い技を仕掛けられます。
10分ともたずにグロッキー状態に‥。
いつの間にか洗浄され、泡まみれになった僕に、
最後は、冷水をぶっかけられ、
そして、背中にもう一発、
バチーッン!
完敗でした。。
おかげで、僕は、
両乳首に絆創膏を貼って帰る始末に‥。
この苦い思い出を忘れないため、
最後、親父と記念撮影をしておきました。
このハマムさえなければ、
イスタンブール、ましてや、トルコ全体は、
最高だったのに‥。
いつの日か、この親父に、
必ずやリベンジしてやります。
2010.12.04 Saturday | 05:59 | comments(0) | trackbacks(0) | by KOJI
2010.12.02
中東、最後の国はトルコへ!
いやぁ、危険なイメージの国々を抜けてきた分、
トルコに入った時には、自然と体がリラックス。
向かった先は、カッパドキアです。
カッパドキアは、トルコ中央部のアナトリア地方に、
100km2近くに渡って広がる奇岩地帯のことです。
キノコ岩や、煙突のような岩がそびえる光景は、
まさに自然の奇跡!
この地形は、度重なる火山活動と風化によって、できたものだとか。
泊まったホテルまでもが、岩窟を掘ったホテルでした。
久々に、豪華ホテルで快眠。
3世紀半頃、
ローマ帝国の弾圧から逃れてきたキリスト教徒たちが、この地に移り住み、
柔らかい岩を掘り出して、住居や教会をつくりました。
こんな岩窟の中に住んでいただなんて‥。
12世紀頃に建てられた岩窟教会の中には、
光が差し込まないため、
未だに当時のフレスコ画を見ることができます。
ちなみに、本当は撮影禁止でした。
また、イスラム勢力等からも脅かされていた彼らは、その住処を地下へとも伸ばし、
カッパドキアには地下都市も存在します。
地下8階、深さ65mにも及ぶ地下都市には、
ワイン製造所、食堂、居間、寝室、
そして教会までもが存在してたんだとか。
地上と連絡を取り合うための、穴も。
ウフララ渓谷と呼ばれる場所には、
崖をくりぬいて作られた、
5000もの住居と100以上の教会が残されてました。
そんな渓谷をのんびりトレッキング。
と、まぁ、カッパドキアは見どころ満載。
そんな地で、僕らを迎えてくれたのが、
従姉妹の夫妻!
あーんど、姪っ子のソフィー(さくら)ちゃん!
従姉妹家族は、ここカッパドキア在住なんです。
ソフィーは、去年会った時はまだ赤ちゃんだったのに、
もうすっかり自分の足で歩いてました。
子供の成長は早いのぉ!
旦那のザフェルさんは、
ここカッパドキアでツアー会社を営んでおり、
至れり尽くせりのサービスを提供して頂きました。
滞在中、トルコ料理をたらふく食べさせてもらったり、
イスラーム伝統の踊りのセマに連れて行って頂いたり‥、
中でも、格別だったのが、
カッパドキアと言えばの、これ!
気球ツアーです!
この気球ツアー、日の出を見るために、
早朝5時45分には宿を出発。
搭乗前には、クッキーとお茶のサービスまであります。
準備ができたら、レッツラゴー!
ボー!という火を噴く音と共に、
気球がみるみるうちに膨らんでゆきます。
我らが気球のキャプテン。
ヨルダンで出会ったナイスな今井夫婦と一緒に、
夜明け前の空へ、いざテイクオフ!
スゴかったのが、その気球の数!
ゆうに30近い気球が、
この奇岩地帯上空に浮かぶ光景は圧巻でした。
ちゃっかり遠くには、HISなんかの姿も。
そして、いよいよ日の出です。
これまで数々の日の出を拝んで参りましたが、
上空から拝む日の出も、また格別でした。
その高さは、地上500mから、
奇岩地帯ギリギリまで下降。
そして、約1時間に及ぶフライトを終え、
気球は着陸態勢へ。
この車両にドンピシャで着陸しなくちゃならないんです!
しかし、さすがは我らがキャプテン。
その冷静沈着なスキルは、
鳥肌が立つほど素晴らしかった!
見事、車両の上に着陸!
着陸後は、なんとキャプテンによるシャンパンファイトがありました。
そして、シャンパンカクテルのサービス。
どこまでも、至れり尽くせりです。
乾杯!
いやぁ、カッパドキア最高。
なにより、従姉妹夫妻に感謝です。
本当にありがとー!
帰りの空は、また格別でした。
トルコ万歳!
2010.12.02 Thursday | 03:41 | comments(0) | trackbacks(0) | by KOJI
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