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アウシュビッツ訪問から学んだこと。

 

 この旅を通じて、目の当たりにしてきた、

世界で起きている問題の数々。

 

 

タイのタクシン派によるデモから始まって、

チベット問題、パレスチナ問題、等々‥。

 

 

その多くが、民族同士の争いでした。

 

 

そんな民族問題の中でも、

人類が犯した最大の過ちの一つの残骸が、

『アウシュビッツ強制収容所』ではないでしょうか?

 

 

ナチスドイツが、国家政策として

ユダヤ人を排除しようとし、大量虐殺を行った場所。

 

 

同じ人類として、この惨劇は見ておくべきだと感じ、

一度、学生時代にも訪れたことがある場所でしたが、

妻にとっては初めてだったので、再度訪れることにしました。

 

 

今回はアウシュビッツで働く唯一の日本人、

中谷剛さんをガイドに付いて頂いて。

 

 

中谷剛さんガイド.jpg

 

 

おかげで、理解度は数段、高まり、

かつ、多くの疑問提起をして頂けました。

 

 

ってか、前回、個人で訪れた時は、

ほとんど分かっていなかったんだな、と。。

 

 

アウシュビッツはポーランドのクラクフ近郊の街、

「オシュフェンチム」という街にあります。

 

 

クラクフからの電車は、

当時、ユダヤ人たちがアウシュビッツまで運ばれた時と

同じレールの上を走っているとのこと。

 

 

バスの方が利便性は高かったのですが、

あえて、電車で向かうことにしました。

 

 

オシュフェンチム行き列車.jpg

 

 

さみしげな電車に揺られること1時間半。

 

 

降り立ったオシュフェンチムの駅は、

雪景色でした。 

 

 

オシュフェンチム駅.jpg

 

 

気温もマイナスの極寒の中、まずは歩いて、

ビルケナウ強制収容所へと向かいました。

 

 

ビルケナウとは、

アウシュビッツでは裁き切れなくなったユダヤ人を

さらに収容、虐殺するために作られた場所。

 

 

言わば、アウシュビッツの第2収容所のようなところです。

 

 

その入口は、

ひっそりとした雰囲気で佇んでいました。

 

 

ビルケナウ入口.jpg

 

 

中に入ると、アウシュビッツの数倍の広さに、

収容棟が無数に建てられています。

 

 

ビルケナウ収容所.jpg

 

 

この収容棟に、

入り切れるだけのユダヤ人が押し込められ、

 ドイツ企業などの末端の作業を強いられていたんです。

 

 

その内の一つの収容棟に入ってみると、

3段ベッドが所狭しと並べられています。

 

 

収容所の中.jpg

 

 

この一つのベッドの上に、

5人寝かせられていたんだとか。 

 

 

ただ、ここに収容された人たちは、

労働力になる一部の人たちだけでした。

 

 

労働力として認められなかった14歳以下の子供とその親や、

収容しきれなかった多くのユダヤ人たちは、

運ばれて来るや否や、殺されたのです。

 

 

その選別をしていた場所には、

当時使われていた貨物車両とレールが残されています。

 

 

ビルケナウ選別場所.jpg

 

 

ここで、軍の医者によって選別され、

労働に適さないと判断された場合は、

そのままガス室へ連れていかれました。 

 

 

ビルケナウ選別場所過去.jpg

 

 

今でもその場所には、

絶えず花束が置かれています。 

 

 

ビルケナウの線路の上に....jpg

 

 

 その大量虐殺を行った現場のガス室は、

ドイツ軍が証拠隠滅のため破壊していったとのこと。 

 

 

ビルケナウガス室.jpg

 

 

その姿は、ありのままの姿で残されています。

 

 

そんなユダヤ人を虐殺から守ろうとした

政治犯が銃殺された『死の壁』。

 

 

死の壁.jpg

 

 

その多くは、ポーランド人の活動家だったようです。 

 

 

その麓にも、多くの花束と、

ユダヤ人による追悼の意を込めた石が置かれていました。

 

 

死の壁の麓.jpg

 

 

そして、舞台はアウシュビッツへ。 

 

 

入口には有名な、

 

 

『ARBEIT MACHT FRET』

※働けば自由になれる

 

 

と、ドイツ語で記したサインが

掲げられています。

 

 

アウシュビッツ入口.jpg

 

 

収容棟のつくりは、

後から作られたビルケナウよりは立派なものでした。

 

 

と言うのも、当初のアウシュビッツは、

ユダヤ人を虐殺するための場所ではなく、

ドイツに歯向かった政治犯を収容するのが主な目的だったようなのです。

 

 

それが、後にユダヤ人大量虐殺センターへと、

機能を変化させていくことになるのです。

 

 

この時、雪足はさらに強まり、

当時の労働の過酷さを身にしみて感じることができました。

 

 

アウシュビッツ収容所.jpg

 

 

12月上旬時点で、-6℃です。。

 

 

こんな環境ですから、

労働力として認められ、収容された場合においても、

たいていの人は過酷な労働に耐えかねて、

2~3カ月で命を落としていったようです。

 

 

 脱走を防ぐために、

周囲は電流が流れる有刺鉄線で、

2重に囲われています。

 

 

有刺鉄線が....jpg

 

 

収容棟の一部は見学することができ、

中には、当時押収されたカバンや、 

 

 

没収されたカバン.jpg

 

 

大量の靴などが展示されています。 

 

 

没収された靴.jpg

 

 

親族がことごとく殺されてしまったため、

戻す先がないとのことなのです。

 

 

そして、こちらには大量虐殺の現場、

ガス室が当時のままの姿で残されていました。

 

 

ガス室外観.jpg

 

 

この狭い部屋の中に、最大900人が押し込められ、

殺虫剤として使われていた毒ガス・チクロンBが撒かれ、

10~20分かけて殺された、とのこと。

 

 

ガス室.jpg

 

 

そして、その死体を流れ作業のように、

隣の部屋の焼却炉で焼いていったんだとか。 

 

 

焼却炉.jpg

 

 

しかも、その作業を担わされていたのも、

同じユダヤ人。

 

 

同胞が同胞の虐殺を

手伝わさせられたのです。

 

 

こうして、統計がとれているだけでも、

110万人のユダヤ人がここで虐殺されました。

 

 

収容されていたユダヤ人.jpg

 

 

戦時中とは言え、 

人間は、ここまで残酷になれるんですね。

 

 

 霊感のまったくない僕でしたが、

中ではゾクゾクしたし、

はっきり言って人間の残忍さに恐ろしさを感じました。

 

 

我々は、この歴史から学ばなければならないわけで、

 何故、こんなことが起きてしまったのか?

を考えることは、非常に重要です。

 

 

背景として、

ナチスドイツを生み出したヒットラーは

民主主義による公正な選挙で選ばれた党首だった、

ということ。

 

 

第一次世界大戦の敗戦で、

世界から巨額の賠償金を要求されていたドイツは、

1929年に始まった大恐慌により、

危機的状況に追い込まれることになります。 

 

 

 失業率も高まる中、

失望した人々の期待を背負ったのが

ヒットラーだったわけです。

 

 

当時の状況は、

今の経済不況の世の中においては、

十分に起こりえる状況ではないでしょうか?

 

 

そんなヒットラーは、

ドイツが混迷を極めているのも、全てはユダヤ人のせいだ!

と、決め付けたのです。

 

 

エルサレムからヨーロッパ中に移住をしていたユダヤ人は、

当時、汚い職業とされていた金融業などに就いていた人も多く、

経済危機をそんなユダヤ人になすりつけることは容易だったのでしょう。

 

 

ただでさえ迫害を受けていたユダヤ人に対する感情は、

ここで一気に噴出することになったのです。

 

 

ここにも、人間の性が垣間見えます。

 

 

僕ら日本人の韓国に対するライバル感情や、

最近、噴出している中国人の反日感情。

 

 

こういった潜在的に眠っている感情は、

危機的状況に追い込まれると、

思いっきり露呈してしまうということ。

 

 

ここに社会的強弱が加わると、

強者が弱者をいじめる構図に必ずなります。

 

 

恐らく、人間のこの感情を押さえることは、

不可能なのではないでしょうか?

 

 

それが人間が抱える、自然な感情だからです。

 

 

人類が作り上げた最良の体制と呼ばれていた

民主主義で選ばれた党首が、

人間の感情を揺さぶって行った大量虐殺。

 

 

それでは、喰いとめることはできなかったのでしょうか?

 

 

僕が感じた一番大きな問題点は、

その実態を知っておきながら、

見て見ぬふりをした"傍観者"が数多く存在したこと、です。

 

 

映画化された「シンドラー」のように、

ユダヤ人を救った人もいたことは事実です。

 

 

ただ、その数が余りにも少なかった。

 

 

確かに、戦時下ですので、助ければ、

自分の身に危険が及ぶこともあったという状況はあったでしょう。

 

 

それでも、人間の尊厳を考えた時、

行動に移せる人がもう少しいるべきだったのではないかと。

 

 

それは、今のこの世の中に対しても、

同様のことが言えると思います。

 

 

混迷を極める政治、広がる貧困問題、地球温暖化など、

世界、ましてや日本にも腐るほど問題はあるのに、

それに対して、"傍観者"が余りにも多すぎるという実態。

 

 

特に、今の状況は殺されるわけでもなんでもないのに。。

 

 

もちろん、自分含め、です。

 

 

まずは、自分のできることから少しでも努めていくことの重要さ。

 

 

それが、民主主義の中で、

暴走していく社会を少しでも変えていく

唯一の手段なのではないかと。

 

 

そんなことを、このアウシュビッツ訪問で

強く感じたのでした。

 

 

 やっぱり見て見ぬふりはよくありませんね。

 

 

長文になりましたが、

もし機会がありましたら、

是非一度、アウシュビッツへ訪れてみてください。

 

 

人類として見ておくべき場所だと、

改めて思いました。

 

 

2010.12.13 Monday | 03:44 | comments(7) | trackbacks(0) | by KOJI

コメント(7)

ドイツに住むものとして、深く受け止めなければならない真実を心に刻めた文章でした。
この国に住んでいるなら絶対に、アウシュビッツは見ておこうと、そう決めていましたが
まだ機会が無いので、本当に近々行こうと思います。

ユダヤ人を過去に大量虐殺したドイツ人の政治家が、今は優秀な遺伝子をもったユダヤ人を移民に欲しいと
公の場で発言して大変な問題になったこと、ご存知でしょうか?
彼は、トルコ人などの低所得労働者は要らない、ドイツ語を学ぶ意欲の無い移民はドイツから出て行け
のような旨の発言をして大変世間からパッシングをくらいましたが
また彼を支援するドイツ人も多かったのも事実です。

人種差別は繰り返されるのかと感じてしまいます。勿論過去のように虐殺することはなくても
トルコ人はドイツでは疎まれた目で見られていることは事実です。
そして、ドイツ政府が移民に対して高慢な態度をとるなら、ここは僕らも長居をするべき国ではないなと感じます。

確かに、移民が貧しさゆえに犯罪を起こすケースは多く、フランスや他の国でも同様の現象が起きています
なかなか、難しい問題なんです。人種の違いは
僕だってたまに町を歩いていると、狐目の真似をされたりすることはあります。
彼らは本当にからかっている程度なのでしょうが、大事なことはどんな人種もリスペクトしあって生きていくことじゃないんでしょうか?

日本も、事、韓国や中国を見下す人たちが多いなと感じます。特に2chではその傾向が非常に顕著で
毎回腹立たしく感じてしまいます。
良識ある大人ですら、韓国や中国を見下す発言を平気でしたりしますね。未だに

生まれた場所で偉い、凄いとかは一切ありません。地球に生まれた以上、皆同じで
人の能力は国ではなく、個人によるものです。
いつしか、全ての人種が分かり合える、そんな時代が来ることを祈っています。

日本も、もっと外に向けて開かれていかないといけないなと思います。
まだまだ、東アジア一英語も通じないし、ガラパゴス化が起こっていってはいけないんだと思います。

ボクは今年の1月に行きました。ボクが行った時は日中で-10度、朝晩は-20度くらいでした。やはりここには冬行った方が、恐ろしさ・寂しさ等、様々な感情が湧いて来やすいように思います。あんな粗末な小屋で冬を過ごすこと自体、ちょっと想像を絶しています。
こーじの言う通り、一人ひとりの意識というのはすごく大事だと思います。できれば全ての日本人(いや、世界中の人か)が、一度はアウシュヴィッツとひめゆりの塔と広島平和資料館に行って、手を合わせて欲しいと思います。
世の中、政治的には右から左まで様々な考えの人がいて、多様な考え方があること自体は健全なことだと思いますが、実際に現場に行ってみると、理屈ではない何かが確実に得られて、きっと人生の何かが変わると思います。
あとどうでもいいが、中谷さんがあまりにも谷口英之にそっくりなのにビックリした!(顔だけでなく、服装の感じまで)
地球の歩き方に載っている写真と、ずいぶん違いますね。。。
ボクも一度、中谷さんのお話しを聞いてみたいです。

ドイツの政治家の発言は知りませんでした。政治家が、ましてやドイツの政治家がしてはならない発言ですね。。ただ、この差別の問題は、いくら歴史を学んだからと言って、決してなくならないんだと思います。学校でいじめがなくならないように。ただ、良識ある大人が、そうした差別の動きが生まれた時、行動することが大切なんだと思います。

日本も真の国際化のために、もっと海外の人と交流する必要がありますよね。海外で働かれているTSさん達にとっては身近な問題とは思いますが、是非とも闘って頂きたく思います。

谷口さんに!確かに言われてみるとそうですね(笑) でも、写真写りだけだと思います。

本当に行ってみると、理屈を抜きにして感じるモノがあります。本当に酷い環境ですよね。人類が残した過去の過ちは、繰り返さないためにも、多くの人がこの目で見ておくべきだと思います。ただ、行けない方達のためにも、今回、見たもの全てを書き記しました。

写真だけでもびんびん伝わってきました。
非常に興味深い内容でした。深い深い。

昔、私の会社の先輩が南京に行ったら南京大虐殺の資料館へ行くように薦めてきました。
彼は、こう言いました。
「未だに中国政府の言っている被害者の数は多すぎる、そんなに虐殺してない、と日本政府は言っているけど、そんな人数なんて大した話ではない。明らかに大多数の人たちがここで殺された、それがまぎれもない事実。ここに来ればそれが分かる。日本人にも見てもらいたいから、日本語の訳もちゃんとあるんだよ、でも日本人で来る人少ないな~」と。

日本人って、欧米には興味あるのに、自分の国は知らん振りって所ありますよね。私たちもこんなにも直面しているのに。アウシュビッツに行きたい、行ったって人と南京と比べたらずっと前者が多いんだろうな。

どっちも行ってない自分が偉そうな事言えないんですけどね。でも子供ができたら、きちんとそういう事が分かる子に育てたいな。それまでに自分が成長しないと。。

おっしゃる通り。僕らは日本人として、日本人が犯してきた過去の罪を知り、この目に焼き付けていかなければならないと思いました。アウシュビッツに訪れるよりも南京に行く方が気負いがありますが、そんな場所にこそ訪れるべきなんだと思いました。イスラエルのホロコースト博物館は、多くのドイツ人も訪れていましたし。僕らの使命ですよね。

私がユダヤ人迫害の事を初めて知った時(本で読んだだけですが)、私は小学3年生でした。
まだまだ精神的に幼くて、その恐ろしい事実から目を背けてしまったことを今でも覚えています。
ですが今回この文章を読み、この迫害の事実を一人の人間として目を背けてはならないと感じました。

そして、まだ世界中には沢山の差別が残っています。
「世界中」というと他人事のように思ってしまいがちですが日本にも虐殺や迫害をした過去がありますし、今残っている差別も確かにあります。
LGBTに対する差別、韓国人や中国人に対する偏見などもその内のひとつです。

私は去年、元ハンセン病患者の方が暮らしている療養所を訪ね、その病気に対する差別の惨さを知りました。
案内してくださった元患者の方が、帰り際私に「二度と同じような差別に苦しむ人が出ないようにまだ未来のあるあなた方が今日知った事を未来の人に伝えていってください。」というようなことを私に仰ってくださりました。
私はその言葉を聞き、それまでぼんやりとしかハンセン病に対する差別のことを知らずにその場所を訪ねた自分のことが恥ずかしくなりました。

この世界で差別あるいは人権問題が起きたとき、その原因の1つとして物事を知らぬ故にしてしまう偏見が挙げられると私は思います。
だからこれからは、何事にも偏見を持たず興味を持って接していきたいです。
世の中にある全ての人権問題や差別を直ぐにでも無くすというのは出来ないかもしれません。
しかし一人一人が意識を変えていくことで一つでも多くの差別や人権問題を減らすことが出来るのではないでしょうか。

めっちゃ長文な上、話が凄く逸れてしまってすみません。
あと上から目線な文ですみません。

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