2010.12.21
モダンなベルリンで感じた平和と犯罪
イスラエルで目の当たりにした、
パレスチナとの境界線にそびえる、
人と人とを隔てるための壁。
かつて、同じように壁によって隔てられていたのが、
ここベルリンでした。
GDP世界第4位の国の首都として栄えるその都は、
もはやその遺恨を感じることすら難しいほどの都会ぶり。
ただ、街の至るところには、崩壊された壁の一部が残されており、
当時の面影を少なからず感じることができます。
今、その壁には、
世界中のアーティストによってアートが施されていて、
平和の象徴として、建て残されたままでいるんです。
今やベルリンは、若手アーティストが集まる
街としての一面も持つようです。
統一ドイツの象徴として建てられいる
「ブランデンブルク門」。
この前では、パレスチナ問題の平和的解決を
訴える運動をしている人々の姿も目撃しました。
昔のことのように感じますが、
ベルリンの壁が崩壊されたのは1989年。
ものの20年程前の出来事でしかないのです。
その間に、地球上にはまた別の壁が建設されている訳で‥。
しかもその壁を建設しているのが、
ナチスドイツによって迫害を受けた側のユダヤ人。
またしても、歴史は繰り返されてしまうのか。
状況は違えど、色々考えさせられます。。
また、ベルリンには、
かつてのナチスドイツが犯してきた犯罪を包み隠さず展示した
「テロのトポグラフィー」という呼び名の博物館があります。
そして、僕らが訪れたアウシュビッツ等の収容所で、
ナチスが大量虐殺をしたユダヤ人を追悼した石碑群まで。
この中に入ると、
ユダヤ人が逃げ彷徨った時の様子が感じられるように、
迷宮のような仕組みになっているんです。
梨紗の書いたアウシュビッツのブログにもありましたように、
ドイツは、自分たちの犯してきた罪をしっかりと認め、
それを口に言うのみならず、
キチンと後世に伝えていくような取り組みをしていました。
敗戦国で、かつ、ヨーロッパの中心に位置するため、
そうしなければ他国と協調してやっていくことができなかった背景はありますが、
過去の犯罪を口では謝罪しても、行動で示さない日本と比べ大人だな、
と感じさせられました。
そんな中、ベルリンの中心部の
ポツダム広場を歩いていた時のこと。
突然、警察のようななりをした人がブースを構えだし、
旧東ドイツのスタンプとビザを発給する窓口を構えたんです。
半信半疑でいくらなのかなど質問すると、
5ユーロでポストカードも付けてくれるとのこと。
と言うわけで、押してもらっちゃいました!
旧東ドイツだけならず、5つの区域別スタンプ!
しかも、パスポートに!!
東ドイツなのに日付は先日の日付になってます。
これ、本当に大丈夫なんでしょうか‥?
警察らしき彼は、「大丈夫じゃなきゃここでブースできんよ。」
と言っていましたが。。
まぁ、確かにポツダム広場のど真ん中ですから、大丈夫っしょ。
こんな調子で、日中でも平気でマイナスの
極寒ベルリンでの生活は過ぎてゆきました。
2010.12.21 Tuesday | 05:17 | comments(2) | trackbacks(0) | by KOJI
コメント(2)
コメントする
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://cool-boom.jp/mt/mt-tb.cgi/3618
Copyright © 2010 COOL JAPAN & BOOM JAPAN ALL Right Reserved
10年位前かな、マサがまだベルリンの日本総領事館にいた時、一回遊びに行ったんだけど、その時は本当に東側がまだ今以上にすさんでてびっくりした。
西側のクラブと東側のクラブ両方見比べてみよ~!という安易な発想の元その頃まだ若かった私たちはまず東から、、、って行ったんだけど、もうNYのそれとはまた違った、本気でギャングスターな雰囲気満載で怖くて近寄れなかったし、入れ無かった。
よって西側で遊んだんだけど、西は煌びやかで楽しかったな。
各国のナイトクラブ事情とかもレポートしてみてよ。オモシロそう。
そうだったんだ。今だにニュースとかでは「東側の景気回復に遅れが‥」とか書いてあったりもするけど、見た感じに大きな違いはないよ。クラブは、この間ドイツのやつ行ったけど、トランスとヒップホップのフロアがあって、ヒップホップの箱が大盛況だった。ただ、トランスもやっぱキテるみたいだけどね。でも、歳のせいか、その疲れがなかなか取れないよ。。