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ベルリンの風景。

ベルリンといえば、壁!

 

ってゆーのは周知の事実ですが、

でも「ベルリンの壁」がどうしてできたのか・・・

 

等々、あんまり知らないような。。。

 

 

 

壁はベルリンの街中に

今でもちょこちょこ存在しています。

 

 

 

 

壁1.jpg

壁2.jpg

壁3.jpg

壁4.jpg

 

 

 

ある壁の前では旧東ドイツの入国スタンプ?を

押してくれるサービスがあって

思わず押してもらっちゃいました。

 

 

 

 

スタンプ1.jpg

スタンプ2.jpg

 

 

USにフランスにイギリスに、、、

 

なぜ???

 

 

しかも本物のパスポートに押してもらっちゃったんだけど

大丈夫なんでしょうか・・・

 

 

 

 

それはさて置き、「ベルリンの壁」についてお勉強。

 

 

 

< そもそもなぜ壁ができたのか? >

 

 

 

第二次世界大戦の敗戦国であるドイツは、

アメリカ・イギリス・フランス・ソ連

の4カ国にそれぞれの地域を占領されました。

 


ソ連はベルリンの東側、残りの国々は西側を占領し、

首都であったベルリンにドイツを4カ国で共同統治する機関を置くことに。

 

 

しかし、これら4カ国のうち、ソ連のみが社会主義で

その他の国は資本主義であった為、対立するようになり、

その結果として本来は一つの都市であるベルリンが

西ベルリン・東ベルリンと呼ばれるようになりました。

 

 

その後、2つに分かれてしまったベルリンと同様に

ドイツという国自体も分割し、
西ドイツを資本主義であるアメリカ・イギリス・フランス3カ国が占領し、

東ドイツを社会主義であるソ連が占領していたとゆー訳です。

 

 

 

社会主義国となった東ドイツでは、西ドイツに比べて自由がなく、

自由な西ドイツへと亡命する人が後を絶たなくなりました。

 

 

そうなってくると、東ドイツでは労働者が大幅に減り色々と困ります。

 

 

そこで、何とか西ドイツへの亡命を食い止めるしかないと考え、

東ドイツ政府が1961年8月13日の午前0時から

壁作りを開始するに至ったのだそうです。

 

 

 

 

< じゃあ、なんで壁は崩壊したの?? >

 

 

 

1989年11月にベルリンの壁は崩壊しましたが

その出来事の始まりは、ハンガリーにあるようです。

 

 

ハンガリーも社会主義国だったのですが

国民の不満からか自由化の動きが強まり、

1989年5月にハンガリーとオーストリア国境の間にあった

鉄条網が撤去されました。

 

 

すると、当時同じ社会主義国への旅行は可能だった

東ドイツの人達はコレに目をつけ、

「ハンガリー経由でオーストリアに入って、そこから西ドイツへ逃亡してしまえ!」

となり、1989年の夏には数万人が休暇旅行の名目で

ハンガリーになだれ込んだそうです。

 

 

その後これがもっとエスカレートし、

「この集会に参加すれば、ハンガリーからオーストリアへ国境を越えられる!」

というハンガリーの反政府団体による集会が

8月19日の土曜日に行われました。

 

結果は大成功で、この1日だけで1000人程の東ドイツ人が

国境越えをしたといいます。

 

 

この事件(汎ヨーロッパ・ピクニック)をきっかけに

多くの東ドイツ人がハンガリーに殺到し、

東ドイツ政府にとっては

「ベルリンの壁を厳しく監視していても意味ないじゃん!?」

ってなり、

 

1989年11月9日に東ドイツ政府は、

東西ドイツ国境を開放すると発表したという流れです。

 

 

 

 

ってこう書くと、なんだかあっという間の出来事だったみたいにも

感じれちゃいますが、

壁崩壊までには28年間の歳月が流れてたんですよね。。

 

ほぼ私の人生と同じ長さ、、、

 

 

 

※壁の崩壊について詳しく書かれたHPを参考にさせてもらいました。

崩壊当時の様子も写真で見れます!

 

 

 

とぎれとぎれの壁だと、あんまり実感がなかったけど

ずーっと続く壁にはかなりの圧迫感がありました。

 

 

 


壁5.jpg 

 

ここには約1.3km壁が残されていて

「ベルリンの壁建設」にインスピレーションを得た

24の国の芸術家118人による壁画が描かれた

"イーストサイドギャラリー"があります。

 

 

 

 

壁7.jpg

 

 

壁の隙間からなだれ込む人々、、、

 

 

 

 

壁6.jpg

 

 

東ドイツと西ドイツの首相がキスをしている有名な画、

 

 

それから、日本人が描いた壁もありました。

 

 

 

 

壁8.jpg

 

 

 

 

 

 また、ベルリンで見ておきたい場所がありました。

 

 

 

 

ユダヤ人メモリアル1.jpg

 

 

【ホロコースト・メモリアル】

 

 

ドイツが過去に犯した自身の罪を忘れないために

造られた、ユダヤ人大量虐殺の慰霊碑です。

 

かつてこの場所には、ナチスの総本部が置かれていたそう。

 

 

この石は一見全部同じサイズに見えるのですが、

実は形も高さも違うんです。

 

 

 

 

ユダヤ人メモリアル2.jpg

ユダヤ人メモリアル3.jpg

 

 

 

石の間を歩いてみると、

すぐに迷子になってしまいそう、、、

 

 

実はこれ、少しでも当時のユダヤ人の気持ち

(捕まえられてしまうまで、どこへ行っていいかわからない)

を体感できるようになっているんだとか。

 

 

最近、「アンネの日記」を読み終えましたが、

14歳の少女が日々隠れ家の中で

自分の気持ちを押し殺して、恐怖と戦いながら

生活している気持ちは

とても想像しきれない苦しみだと思います。。

 

 

 

 

ユダヤ人メモリアル4.jpg

 

 

 

雪の日のベルリンは

なんだか切なくなる感じがしましたが、

過去をきちんと見つめ、そこから発展していっている

ドイツの首都・ベルリンは

長く滞在して見ていくほど本当は味がある街なんだと思います。

 

 

できればベルリンをよく知る人に

案内してもらえたら一番いいんだろうな~

 

2010.12.16 Thursday | 06:06 | comments(0) | trackbacks(0) | by RISA

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