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ヨハネのもうひとつの顔、「Soweto」とアパルトヘイト。

世界一危険な都市、ヨハネスブルグに来て早10日。

 

駐在員の友人宅にすっかり居ついてしまい、

南ア生活にも慣れてきました。

 

 

とりあえず危険な地域には近寄らず、

(危険な場所には親切に、"Crime Hot Spot"という建て看板があります)

外には出歩かない

ということさえ守っていれば、問題なく生活できそうです。

 

 

まぁ、でもこれは車あってこそできる生活であって、

普通の旅人にはやはり長く滞在できる場所ではないかもしれません。

 

 

 

そして、昨日はそんなヨハネのもう一つの顔を見るべく、

Sowetoツアーに参加してきました。

 

 

Sowetoは"South Western Townships"の略で、

アパルヘイト政策によって迫害された

アフリカ系住民の象徴の地と言われている場所です。

 

もちろん個人で行くことは不可能に近く、

黒人のドライバー兼ガイドさんがいるツアーに参加するのが無難です。

 

 

ダウンタウンを抜けて10分程車を走らせると、

Sowetoはありました。

 

 

ダウンタウン.jpg

 

ダウンタウンはご覧の通り、かなりの都会。

しかし、ここも危険地域で近寄れません。

 

 

Soweto1.jpg

 

Sowetoは黒人居住区と聞いて、貧困層のみが住んでいるのかと

思い込んでいたので、

最初の窓からの景色には驚きました。

 

 

Soweto2.jpg

 

えっと・・・、

ちょー豪邸ですけど。。。

 

Soweto3.jpg

 

 

Sowetoの中でも3つの種類があり、

通称ビバリーヒルズと言われているお金持ちエリアに↑

マッチハウスと呼ばれる中級階級↓

 

 

Soweto7.jpg

 

 

そして、貧困層の住むホステル↓

 

 

Soweto5.jpg

Soweto6.jpg

 

 

いくつもの世帯が横並びになっている集合住宅(上)と、

いくつかの小さな家が集まって集落となっている(下)タイプがあります。

 

 

Soweto8.jpg

Soweto10.jpg

 

 

ツアーのほとんどは車の中からか、

もしくは車から出ても写真を撮るだけ

という具合でしたが、最後のエリアは貧困地域だけど安全

ということで、車を降りて家を見学させてもらうことができました。

 

 

Soweto9.jpg

 

 

家の中は4畳くらいの広さで、ベッドひとつと

キッチン代わりの台がひとつ置いてあるだけ。

 

トイレは共同トイレが外にあり、

電気もガスも通っていません。

 

生活用水は、決まった量が政府から供給されるそうです。

 

 

Soweto11.jpg

Soweto12.jpg

Soweto13.jpg

 

 

それでも見かけた子供たちは、皆ちゃんと清潔な服を着ていて

インドにいた貧しい子供と比べてしまうと、

正直そんなに衝撃を受けませんでした。

 

 

Sowetoを訪れて、これまで見てきたヨハネの都市との違いや

貧困層の生活について知ることができましたが、

それよりも、どうしてここに黒人居住地が築かれたのか、

その歴史を知る必要があります。

 

 

 

1880年代にヨハネスブルグで金鉱が発見されて以降、

各地のアフリカ系住民が仕事を求めてヨハネに移住してきました。

多くは住居を構えることができず、郊外にある

ブリックフィールズという地区に収容されていました。

 

ところが1904年、ブリックフィールズ地区で疫病が発生したため、

イギリスが統治する市当局は、アフリカ系住民とインド系住民を

ブリックフィールズからヨハネスブルグ市外へ移動させ、

これがSowetoの始まりだといわれているそうです。

 

 

1913年には、アフリカ系住民の所有地を

国土の9%に制限した原住民土地法がつくられ、

職を求めたアフリカ系住民の多くがSowetoに移住してきました。

 

 

そして、1948年には、アパルトヘイト(人種隔離政策)が

法制化され、アフリカ系住民の居住区を集約させるために、

Sowetoへ強制移住を推し進めたのです。

 

 

白人が掌握していた政府は、

「南アフリカにはたくさんの民族が住んでいて、

それぞれ違う伝統や文化、言語を持っている。

それぞれの民族が独自に発展するべきだ。

アパルトヘイトは差別ではなく、分離発展である」

と表向き主張したのですが、

 

しかし、それはあくまで表向きの理由であり、

本当の狙いは白人と黒人の居住区及び生活圏を法的にくっきりとわけることにより、

白人の安全を確保し、また、黒人に白人の生活をみせないことにより、

格差感情を和らげるのが目的だったのです。

 

 

レストラン、ホテル、公園やビーチに公衆トイレまで

公共施設はすべて白人用と白人以外に区別され、

白人専用の公園などの場所に立ち入った黒人はすぐに逮捕されたとか。。。

 

 

また、1976年6月16日、

黒人の学校でも授業をアフリカーンス

(南アフリカに最初に移住してきたオランダ系住民が使う言葉)

で行おうと政府が決めたことに対し、

学生デモが起こり、

警官隊による発砲で700人もの死者が出た事件がありました。

 

 

この時に最初の犠牲者となった当時14歳の少年の

傷ついた写真が世界に広がり、波紋を呼び、

ようやく1991年にアパルトヘイトの政策廃止が宣言されました。

 

 

 

たったの19年前の出来事です。

 

 

 

中学校だったか、高校だったかで

「アパルトヘイト」=人種差別政策、

というのを暗記した覚えはありますが、

その出来事がこんなにもつい最近だったとは知りませんでした。

 

 

今回のガイドのおっちゃんも、

アパルトヘイトを経験していたってことですもんね。

 

 

 

アパルトヘイトは廃止されたとはいえ、

今もSowetoのような場所があったり、

街中で黒人と白人が一緒にいる姿はほとんど見かけません。

 

 

 

 

日本でも大盛り上がりだったW杯、

(まだ終わっていませんが、、、)

その開催地南アは"危険"という言葉でだけで

表現されているようにも思います。

 

 

今回のW杯を機会に、アパルトヘイトや南アフリカの歴史についても

メディアはもっとフォーカスしてみてもいいかもしれませんね。

(日本の番組ではどうでしょうか、、、?)

 

 

W杯で南アが身近に感じられる今だからこそ、

他国の歴史や出来事について知るいいチャンスではないでしょうか。

 

 

2010.07.01 Thursday | 15:10 | comments(2) | trackbacks(0) | by RISA

コメント(2)

りさおひさし!やまけんです。
久しぶりにブログのぞいたけど、マハラジャクッキーは無事達成したんだね。お疲れ!
てかホセ懐かしすぎだし、かわらなすぎだし!!てか今南アにいるんだ?奥さんも一緒?もしまだホセんちいるならよろしくお伝えください。
またのぞきマース。

>yamaken
久しぶり!そうだよ~、もうインドは終わってアフリカ入ってます。
今日までホセ家にお世話になってるよ。もちろん、奥さんも一緒。
ちょうど隣にいたので、よろしく伝えといた!
また見てちょ☆

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